この時間になって、当地でも雨が激しくなってきています。
今日お話しした方も、
最近の雨の振り方は怖い
と仰っていました。
その方は畑もされるので、水捌けのことなど苦労が多いと仰っていました。
慣れた時が怖いので皆様十分に注意してください。
今日は寺院清掃でした。
梅雨の晴れ間の快晴となり、気温も高くなる中、清掃をしてくださいました。
本当にありがとうございます。
清掃後は、お寺で採れたヤマモモやトマトをいただきながら対話ができました。
寺院を護ることの苦労や、次の世代が育っていく話など、いろいろな話題がありました。
寺院は、地域や環境、またその寺院が持っている歴史によって、そのあり方も大きく違います。
どれが正解というわけでもなく、僧侶や御信徒がお互いに心を寄せて護っていくことが大事で、そうやった護られてきたお寺には、それぞれの魅力があると思います。
寺院は観光でいくところという形で紹介されることが多いですが、生きた信心の場としての寺院に触れる機会が増えてくれると嬉しいと思っています。
漢字には異体字があって、学校では習わないのですが、異体字を調べると色々な表現があって面白いと思います。
またなぜこんなにたくさんの異体字が生まれたのだろうと思います。
たとえば、
異
は
异
という異体字があります。あまり似ていないと思うのですが、異が活字ではなくて、筆で書かれた文字だと、
という書き方になって、これだと両方の字に見えなくもない… かな。
活字はもともと手書きだったものから起こしていますから、表記の揺れは多分にあったのだと思います。
アンパンマンの作者であるやなせたかしさんは、子ども達にひもじい思いをさせたくないという思いからアンパンマンを作り出したと聞きました。
戦争を経験した御信徒から話を聞くと、
何がつらかったかといえば、着る物がない、住むところがない、いつ死ぬか分からないという恐怖、いろいろあったけど、一番はとにかく食べられなかった事よ。
と皆さん一様に仰います。
飽食の時代には分からない苦しみです。
だからこそ、ひもじい思いをされた方々の言葉に耳を傾けなければいけないと思います。
読み方が分からず、手を尽くして調べて、ようやく読み方が分かって、せっかくだからここで皆様に共有しようと思った言葉、
區々
ですが、
すでに掲載してました。
ちなみに
まちまち
と読みます。
勉強になったからよいのですが、他の言葉でももうすでに何度繰り返しています。。
会議というか話し合いをするときは、人数をどのくらいにするかというのが結構重要だと感じます。
調べてみると多くて10人ほどが適正だとされるようです。
でもこれは話し合いの雰囲気や種類にも影響されると思いますし、またその話し合いをするグループに親密具合にもよると思います。
企業などの会議のようにアイデア出しの場合などは効率的な人数設定も必要だと思いますが、話し合いの様子を見聞きするのもとても良い経験だと思う(特に昨今はこの対話の様子を聞く機会が失われている)ので、あまり適正な人数にこだわりすぎるのも良くないと思います。
話し合いは同じグループの顔ぶれでも毎回雰囲気が変わるので、大事なことは人数や環境などの変化、または微調整ではないかと考えています。
御書にある言葉で
鷸蜂の相扼 いつぼうのあいひしぐ
があります。
意味は、
鷸は鳥のシギ、蜂は蚌でハマグリの意。シギとハマグリが争っている間に両方とも漁夫に捕らえられたという故事から、両者がいさかっている間に第三者が利を得ることをいう。
御書システム辞書
ですが、気になったのは、この
扼
です。日頃使わない言葉なので、調べてみると、
押さえつける
というような意味でした。
そういえば。ひしゃげるという言い方がありますね。
図書館で下記の本を手に取りました。
いのちの花―捨てられた犬と猫の魂を花に変えた私たちの物語
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784872906950
殺処分されていく命のために青森の高校生たちの取り組みが紹介されています。
その内容を簡単にここで説明すれば、それは誤解のもとになるというくらい難しい問題です。
メディアなどで取り上げられていたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
この本の中で
賛否両論の活動だが、賛成されることだけをしていては何も変わらない。
いのちの花―捨てられた犬と猫の魂を花に変えた私たちの物語 76ページ
とありました。
事勿れ主義の世界で生きる大人にはきつい一言です。
いずれにしても粗末にしていい命なんて一つもないということを日常の中でどれだけ感じて生きていけるかが、現代人に問われているように思います。
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