明日は崇峻天皇御書をお話しする予定ですが、ここに
内薫外護
という法門があることが示されています。
内にある仏性を育むことで、外にある諸天善神の加護を得る
という意味や、
内にある徳が、その人を護る
というような説明がされます。
この
徳
ということが人のあり方として言われることが少なくなっているように感じます。
姿や形ばかりが問われますが、人間の内面にある徳ということを考えてみると、現代にはない見方ができるように思います。
本日は寺院清掃を行いました。
梅雨の晴れ間となり、大変暑くなりましたが、お蔭様でとても綺麗になりました。
ご参加誠にありがとうございました。
終了後は境内で採れたトマトを食べながら談笑しました。
昔の生活の話になり、今起きているトラブルは昔していたような生活をすれば避けられるものが多くあることがわかりました。
でも、現代人には何もかも手作業の昔の生活はできません。
急速に発展することで置いてけぼりにされているものが山積みになっています。
今回の長雨でトマトが病気にかかってしまったようです。

雨は小さな菜園では防ぎようがないので仕方ないことです。
他にもトマトが割れてしまって収穫できないトマトがたくさんあります。
これも仕方ない。
自然と付き合う難しさを感じます。
農家の方も大変だと痛感します。
仏教で出てくる漢字は、読みが難しいということがあります。
これは、呉音で読むことが多いからです。
これは仏教の経典が流入された時機にもよります。
読みが難しいので、読みを間違えると…と思うと、何だか読んでいくのが億劫になるということを聞きます。
人によって考え方は違うと思いますが、最初は読みは気にせずどんどん読んでいくと良いと思います。
人名なども、とりあえず気にせず読んでいけばそのうちに読みもわかってくるという感じです。
読みが分からなくて、その度に調べていると、なかなか読み進めることができません。
とりあえず気にせず読んでみてもらえたらいいかなと思います。
雨が大変長く降っています。
他の地域の方もかなり降水量が多いようです。
明日も雨が続く中、台風も近づいてきている状況です。
皆様、くれぐれも大事にお過ごしください。
倉敷のハザードマップのリンクです。
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/anzen/disaster/1002627/1002683/1002684.html
※一部ブラウザでは見ることができないようです。
下記は全国のハザードマップです。
法華経を信ずる人は、さいわいを万里の外よりあつむべし。ー乃至ーせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。『重須殿女房御返事(十字御書)』
【訳】法華経を信じる人は、幸いを万里の外から集めることになるでしょう。ー中略ーまた、法華経を信じる人は、栴檀が良い香りを備えることができたように、すばらしい功徳を得られるものと思います。
以前にも書きましたが、
https://hou-gen-ji.com/?p=4266
今日、モノクロの映像を見ていて、モノクロならではのリアルさを感じました。
人間にとって色情報は、その情報が多すぎると処理するのに能力を割いてしまい、物事を認識する力が下がってしまうようです。
モノクロの場合、色情報が極限まで少なくなるので、逆に物事のディテールに集中できるようになります。
そのため、モノクロの方がリアルに感じることがあるそうです。
現代は視覚優位な時代ですが、それでもモノクロが一部で大変人気なのは視覚ばかりを使うことに疲れてしまっているからかもしれません。
仏教における観は、視覚の意味ではありません。
観をするためには、色情報を排除してモノクロを見るように、一旦、先入観や世間の常識などを排除することも大事なようです。
唱題中の観に何かヒントになるでしょうか。
日本各地にある自然史博物館は英語では、Natural History Museumというそうです。
下記のラジオの中で紹介されていました。
プラッと プラッと始まる、カジュアルな新感覚教養トーク カタツムリのしっぽはどこ?@千代田区
https://www.nhk.jp/p/rs/MPZ6XPWMV5/episode/re/3MGKW3QY8M
この中で、Natural History Museumには宗教的な意味があると述べてました。
気になったので調べてみました。
検索結果の回答を下に貼り付けます。
「自然史博物館」が持つ宗教的な本当の意味とは、近代以前の「自然=神の創造物」という世界観の名残と、自然界の秩序や生命の多様性に畏怖(ワンダー)を感じる「世俗化された神殿」としての役割を指します。
1. 「自然」= 神の書物(神の作品)近代の博物学が確立する前、自然科学者たちは自然界を研究することを「神の創造の御業を解き明かすこと」と捉えていました。特に19世紀にロンドン自然史博物館の建設を主導したリチャード・オーウェンらは、博物館を「自然という書物(神の作品)」を一般市民に公開し、神の偉大さを伝える宗教的な教育の場として考えていました。
2. 聖堂のような建築デザインロンドン自然史博物館(Natural History Museum)の壮麗なゴシック建築や、大聖堂を思わせる吹き抜けとアーチ、壁や天井に施された無数の動植物のレリーフは、意図的に教会建築を模しています。これは自然科学という知の体系を通じて、宇宙の神秘や生命の誕生に精神的な畏敬の念を抱かせるための空間演出です。
3. 進化論によるパラダイムシフトダーウィンの進化論が登場して以降、自然史博物館は「神による創造」を展示する場から、「科学的な生命の歴史」をたどる場へと変化しました。しかし、どれほど科学的知見が進んでも、巨大な恐竜の化石や壮大な地球の歴史を前にしたとき、人間が言葉を失う「崇高な感覚」を味わう機能は失われていません。かつて教会が担っていた「人間の存在を超越した大いなるものとの対峙」という役割を、現代の自然史博物館は引き継いでいると言えます。
これが確かな回答とはいえないと思いますが、日本における自然史博物館の理解とは違う理解であるということは確かです。
日本人は西洋的なものの中に溶け込む宗教性に対してとても疎いところがあるので、たとえば外国のニュースを見ても、そこに何が影響しているのかをなかなか理解することが難しいともいわれます。
無論、これは外国の方が日本を理解するときにも言えることです。
少なくとも、まずは違いがあるということを知るということが大切かと思います。
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