本日は寺院清掃を行いました。
暑い中、ご尽力いただき本当にありがとうございました。
お陰様でとても綺麗になりました。
終了後、お茶を飲みながら、今の若い世代が大変になるということを話し合いました。
皆さん、次の世代の人達の苦労をとても心配していました。
こういう方がたくさんいれば、若い人たちはしなくていい苦労をせずにすむのだろうと感じました。
若い世代の皆様には、応援してくれる人が必ずいるのですから、少しずつ歩みを進めていってほしいと思います。
なかなか読めない文字です。
悲憤慷慨
ひふんこうがい
と読みます。
意味は
世の中の不正や自分の不遇な運命に対して、悲しみ、怒り、嘆くこと
です。
あまり聞かなくなったのは、悲憤慷慨する人間が少なくなったからでしょうか。
大聖人様は、自分の不遇な運命に嘆くことはなく、社会の不正を嘆く人であったと思います。
本の紹介です。
恐竜とぼく 好きが未来になる瞬間 著・小林快次
https://www.sogensha.co.jp/book/b10168206.html
恐竜研究者の著者のこれまでの日々を紹介してくれる本です。
恐竜学者になるまでに、さまざまな人と出会い、偶然に導かれ、本人がいかに努力したかがわかります。
とくに人との出会いがとても印象的で、人生は自分自身で選択する以上に、人とのつながりで導かれていくのだなと感じます。
よろしければどうぞ。
本年の土用の丑の日は、
今日です。
日曜日なのに?
土曜日じゃないの?
土用とは季節の変わり目の約18日間、丑の日は12日周期で巡る十二支の日を指します。
曜日とは関係ありません(笑)
説明し出すとキリが無いですが、この季節に力のつくものをいただくというのは、確かに暑さが続いていますから、ここをしっかり乗り切ろうということですね。
西日本ではお盆に向けて暑さがまだまだ続きます。
力を付けて暑さを乗り越えましょう!
ある方から聞いた話です。
以前に、大きなホームセンターで働いていたときのこと。
ある男性が、ウロウロと一時間ばかり売り場を歩き回っていました。
何かを探しているようではあるのですが、それでもちょっと気にかかるので、
「何かお探しですか?」
と声をかけたところ、
「〇〇を探している」
とのこと。その〇〇は案内するまでもなく、その男性の目の前の棚の上の方にありました。
ちょっと珍しい商品なので目のつく範囲においてなかったこともありますが、聞いてくれたら良かったのに、もっと早く声かけをすれば良かった、と思ったそうです。
その話をベテランの同僚にしたところ、同僚いわく
「他人に聞くのが嫌いな人がいるのよ、どうしても聞きたくないみたい」
とのこと。
◇◇
この話を聞いて、無論いろいろと見て回るついでだからということはあったと思うのですが、お話を聞かせてくれた方が思われたのと同じく、聞いたら良いのにという感想を持ちました。
日々の生活の場面の中でも、迷うなら聞いてしまった方が良いと思うことがあります。
でも、勇気がなかったり、余計なプライド?が邪魔したり。。
自分自身の余計なこだわりが邪魔しているなと感じます。
本屋などでどうしても〇〇入門というような本を手に取ってしまいます。
他人に聞いてみても同じようで、そういう本に書いてあることは、それほど変わることはなく、何となく自分の中の知識の確認に使っているようなところがあります。
それ自体は何も悪いことではないとは思うのですが、本当に学びたいと思えば入門や概論ではなく、一つ難しいと思うような段階の本を手に取る必要があるようです。
そういう本を手に取ると、分からないことだらけで、読み進めるのを諦めてしまいそうですが、そこはじっとこらえていくと、そのうちに見えてくることがまたたくさんあります。
あまりの暑さで昼間の時間、室内にいることが多くなってきました。
読書の秋より、読書の夏。
ちょっと難しい本を手に取ってみてはいかがでしょうか。
最近は、
若い人に迷惑かけたくないから
とご年配の方が多く仰います。
でも、少しきつい言い方ですが、
迷惑かけたくないと言われる方が迷惑
ということが多くあるようです。
知らない間にお墓を片付けられた。
仏壇がいつの間にか亡くなっていた。
自分たちが手を合わせたいときにはどうすればよいのか。
お墓は新しく作るのか。
お仏壇はどうするればいいのか。
お寺さんを一から選ぶのか。
そういう相談を多く受けます。
もし迷惑かけたくないという気持ちがあるのであれば、率直に若い世代に自分の思いを伝えてはどうでしょうか?
若い世代は、ご年配の方たちのことを孝行したいと思っているかもしれません。
話してくれて良かった。
ということもきっとたくさんあると思います。
本日は誓願題目講を奉修しました。
大変な暑さの中でしたが、御参詣の皆様と一時間の唱題行をつとめることができました。
御参詣いただき誠にありがとうございました。
当宗の謗法厳誡は、他者に対するだけでなく、自分にも向けていなければなりません。
唱題も同じです。自分のためだけの唱題ではなく、他人のために唱えるお題目でなければなりません。
折伏弘教も、他者に向けてだけではなく、自分に対しての折伏でなければなりません。
この両者がバランス良くあってこそ、健全な信心ができるかと思います。
真の信心は自他の境が無いのかもしれません。
最近のご意見