諸仏を見たてまつるといえども、なおいまだ了了ならず。目を閉ずればすなわち見、目を開けばすなわち失う
『仏説観普賢菩薩行法経』
たくさんの仏を拝見したといっても、仏の教えに明らかではありません。
目を閉じれば拝見することができますが、目を開けば、仏の姿を見失ってしまうのです。
もしは受持、読誦、解説、書写し、説のごとく修行することあらば、もしは経巻の所住の処、もしは園中においても、もしは林中においても、もしは樹下においても、もしは僧坊においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷曠野にても、この中に、皆、まさに塔を起てて供養すべし。所以はいかん。まさに知るべし。この処はすなわちこれ道場なり。
如来神力品第二十一
そたなたちは、仏様が入滅した後、必ず心を尽くしてこの経を受持し、読誦し、内容を説き示し、書写して、経文の説く通りに修行しなさい。
あらゆる国土の中で、この経典を受持し、読誦し、その内容を解き明かし、書写し、教えの通りに修行しようとするならば、経巻が安置してある場所には、園の中でも、林の中でも、樹木の下でも、僧坊でも、俗人の家でも、殿堂の内でも、山や谷や広い野原でも、どこであっても必ず塔を建てて供養しなさい。
それはなぜか。心して知りなさい。私たちが経典を受持信行するところは、どこでも仏道修行の道場であるからです。
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