大聖人様のお言葉に、
蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財よりも心の財第一なり。
という有名なご金言があります。
これは、お金よりも体、体よりも心という通釈をされがちですが、文脈から観ていくと、
蔵に積み上げる財物よりも、身に具わる健康の宝が勝れている。その体の健康よりも、心に備えていく財が第一である
という意味と考えられるそうです。
なぜなら、上記の御文の続きには、
此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし。
と続くからです。
ただ、心が大事、心が大切ということではなく、
心に何を積み重ねていくかが大事
という御教示と拝すことができるかと思います。
積み重ねる=「行」ということにつながるかと思います。
力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。『諸法実相抄』
美味しいものを食べたら、誰かに紹介したくなる。楽しいことがあれば、誰かに話したくなる。そのような気持ちと同じではないだろうか。このお題目の信心をしていて喜びを得たのなら、何か学びを得たのなら、誰かに一言でも語ってみよう。その人の心を動かすことはできなくても、自分の信心はどんどん深くなっていく。
行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。
『諸法実相抄』
信心あるものは修行と学問に励む。
修行と学問がさらに信心を深める。
信心と修行と学びがバランス良く備わることが大切だ。
汝只 正理を以て前とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。
『聖愚問答抄』
【訳】汝はただ正理をもって判断の基準とすべきである。とりわけ人の多きをもって判断してはいけない。
人が多いから正しいのか? 立派なのか? そのようなことはない。真実は多くの場合、人に受け入れられない。だからこそ、人の多さで物事を判断してはいけない。
今末法に入りては教のみ有りて行証無く、在世結縁の者一人も無し。 『教行証御書』
【訳】今、末法に入ると仏の教えのみあって修行も証果もなく、仏の在世に法華経を聴いて縁を結んだ者は一人もいない。
現代で触れる仏教は教えのみであって修行もその果報もない。教えをただ文字として読むだけでは成仏はできない。日常の中で行じてこそ、真の信仰の仏果を得ることができる。
仏眼をかって時機をかんがへよ、仏日を用て国をてらせ。『撰時抄』
【訳】仏の智恵の眼を借りて時代と機(人々の性質)とを考え、仏の太陽のような光を用いて国土を照らしてみよ。
自分の視点や社会の視点にこだわるのではなく、仏様の視点で世の中を見てみよう。多くの物事が明らかになるであろう。
設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、法華経の事のみさばくらせ給ふべし。 『兄弟抄』
【訳】たとえどのような難儀なことがあっても、すべては夢であると思って、ただ法華経のことのみ念じられよ。
私たちの一生は一炊の夢のようなものである。現実にとらわれ過ぎずに、まずはお題目のことを念じてみよう。
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