昭々乎と牢々乎
明治から大正にかけてくらいの文章を読んでいて、上記の言葉がでてきました。
昭々乎は
しょうしょうこ
と読んで、意味としては、道理や物事が明るく照り輝いているように、きわめて明白で隠れようがないさま、です。
渋沢栄一が著書の中で使っていたようですが、当時よく使われた表現なのかも知れません。
もう一つ、牢々乎は
ろうろうこ
と読み、正しくは「牢乎(ろうこ)」または「牢乎たる(ろうこたる)」という表記で使われることが多い言葉で、意味は、かたくしっかりしていて、動じないさま。ゆるぎない様子になります。
どちらも現在ではあまり見ることのない言葉ですし、大聖人様の御書中にも見当たりません。
時代によって使われる言葉は変化するのですね。
御経日ならびに節分会
本日は、御経日ならびに節分会を奉修しました。
御参詣の皆様と共に、先祖諸精霊の追善回向を申し上げるとともに、節分会の御祈念を申し上げることができました。
皆様には寒い中深信に御参詣誠にありがとうございました。
皆様に「福は内」と豆をまいていただき、和気藹々と豆を拾うことができました。
ご挨拶では鬼子母神についてお話しをしました。
鬼子母神は十羅刹女をはじめとする500、または1000、一万の鬼の母親とされます。
人の子を喰う鬼で、子どもをさらわれて困っていた街の人々が釈尊に相談します。
釈尊は、鬼子母神の末の子を隠します。
街の人々はそんなことをしても鬼子母神にはたくさん子どもがいるからと思っていましたが、鬼子母神は狂ったように末の子を探し始めます。
そして、7日間探し回り、それでも見つけることができなかった鬼子母神は、釈尊に助けを求めます。
そこで、釈尊は、隠していた子どもを鬼子母神に返し、自分の子がいなくなって悲しいのなら、他人の子もさらってはいけないと訓戒します。
この訓戒をよく聞き入れ、鬼子母神は善神になったと伝わります。
こんな当たり前の話と思うかもしれませんが、私たちも他人にされたことは覚えているのに、自分がしたことは覚えていないということがあります。
いじめの問題などがそうです。
被害者は心の傷として深く思い悩むのに対して、加害者はそもそもいじめた記憶すら無いということがあります。
決して鬼子母神のことを他人事と思ってはいけないという訓戒です。
◇
今日の朝はとても月が綺麗でした。

寺院清掃
本日は寺院清掃を行いました。
日差しも暖かく、風もあまり吹かなかったので、気持ちよく掃除ができました。
ご尽力頂き誠にありがとうございました。
お茶を飲みながら、映画の話などができたのですが、その中で大聖人様の御尊顔についても話ができました。
今に伝わる御影はどれもとてもはっきりされたお顔をされていますし、伝承ではかなり大柄であったとも伝わりますから、仏教的な大丈夫なお方だったのでしょう。
想像しながらお話しするだけで大盛り上がりでした。

雑記
ちょっと聞いた話なのですが、ある会社で若い子に注意をしているときに、その子は先輩の注意をスマホを見ながら聞いていたそうです。
話をしてるときにはスマホを見るもんじゃない
と注意したら、その子はポカンとしていたそうです。
なんでポカンとしているのかを聞いたら、
スマホを見ながら話を聞いてはいけないと言われたことがなかった
と言ったそうです。
その子は社会人生活を始めるまで、そういった注意をしてもらったことがなかったんだと思います。
ある意味可哀想だ
とその方は仰ってました。
確かに、必要な注意は必要なときにちゃんと受けとくべきなんだなと思います。
勉強会
本日は勉強会を行いました。
引き続き日興上人について学んでいます。
今回は身延離山の経緯がわかる原殿御返事を一緒に全文を拝読しました。
ひとえに大聖人の仏法が弘まることが大事
と自らの思いを胸にしまい、離山されていくそのお気持ちが痛いほど分かる内容です。
また参加された方々からの率直な意見もとても考えさせられました。
ご参加頂きありがとうございました。
種まき
トマトの種まきを蒔きました。

蒔いた後ではただの土の表面の写真ですね。。
7〜10にちほどで発芽すると思います。
ところで、この蒔くは、なぜ草冠に時なのか。
いろいろ説があるようです。
ただ昔の人が種を蒔く、苗を植えることに時の意味を寄せたというのは想像ができますね。
時期を外すと芽が出ません。
その時を知る行為が、蒔く、ということでしょうか。
日が長くなりました
まだまだ寒い日が続いていますが、だんだんと日が長くなっています。
今日の日の入りは、
17:27
だそうですが、6時くらいまではまだ明るく感じます。
岡山は寒くなりますが、この時期でも日中は暖かい日差しがさすこともあり、本当に恵まれた土地であると思っています。
もう少しすると陽の光が春の光に変わってきます。
楽しみです。
be a good loser
題名の言葉を学生の時に学びました。
良き敗者でいなさい。
良き敗者となりなさい。
ということでした。
学生のときにはあまりこの言葉の意味をよく理解できなかったのですが、しかし、それなりにとても心に響く言葉だったことを覚えています。
この言葉には先に
Be a hard fighter
言う言葉が来ます。
この言葉が先に来る事は大人になってから知りました。
意味は
果敢なる闘士たれ
という意味ですが、とにかく一生懸命励みなさいと言うようなニュアンスだそうです。
そして、結果は勝敗がありますが、勝敗は時の運であり、勝敗を求めすぎず、例え負けたとしても、潔良き敗者であれということです。
歳を重ねるにつれ、敗者となる場面は、別にスポーツなどをやっていなくても多くあります。
むしろ本当の意味での勝者と言うのは、人生の中では無いのかもしれません。
日蓮大聖人様は
よからんわ不思議、わるからんは一定
と仰せです。
うまくいかないことがあったり、だめな1日があっても、それでも腐らず、日々を生きていくこと、それが人生の中でどれだけ大事なことか、大聖人様は教えてくださっているんであろうと思います。
雑記
踏み込み温床ですが、順調に温度が上がっています。

朝には温度が上がりすぎて、種を蒔くポッドの土の温度が40度位になっていました。
もう少し温度が落ち着いてから種を蒔こうと思っています。
◇
今日、参詣された方と人間性について話をしました。
歳をとってから穏やかに過ごすことができる人は、若い時から人間性を整えていると言う話でした。
確かに若い時と歳をとってからの時間はつながっています。
今できない事は将来もできないので、若い時から自分の人間性を省みると言うことを大切にしなければいけないのではないでしょうか。
聖人君主のように生きる事は難しいですが、毎日ありがたいと思って生きていきたいものです。

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