本日は、寺院清掃でした。
朝から気温も高く、まだまだ残暑が続いていますが、皆様の御尽力のおかげ、お寺もとても綺麗になりました。
本当にありがとうございます。
草をひきながら、
止めどきが難しいね〜
もうこれくらいにしとこうって思わないと、ついつい続けてしまう
という声が聞こえて、とても同感です。
土を触る作業はとても楽しく、人間は土に触れて生きる生物なんだなということをいつも感じています。
とはいえ、暑さが厳しいですから、適度な休憩を取ってお掃除に取り組んでいきましょう。
ちょっと時期が遅くなったのですが、アジサイの切り戻しをしています。

暑さにやられてだいぶ葉も傷んでしまいました。

来年咲いてくれるかはわかりませんが、株が弱っているので、一度しっかり切り戻そうかと思っています。
まだ暑さは続くみたいですね。。
本日は勉強会を行いました。
前回に引き続き日興上人について学んでいます。
大聖人様の佐渡流罪にお供し、身延入山でもお側に仕え、そして、その間、実働部隊として様々な地域に教化をされていきました。
特に佐渡以後の大聖人様は、法門的にも甚深の教えをお示しになられていきますので、そのときに、お側に仕えることができた日興上人はある意味恵まれていらっしゃったのかもしれません。
人は環境によって大きな影響をうけますが、仏教が説く縁というものが如何に大事かを考えさせられる勉強会でした。
大聖人様の『種種御振舞御書』という御書の一節に
ちやうとは詰め詰め
というお言葉があります。
意味は、
きっちりと理論立てて詰めに詰めたので
というような意味です。
古来よりこのような意味でとられているのですが、この
ちやうとは
はどういう意味か調べると、あまり良く分かっていないようです。
以前から調べているのですが、なかなかはっきりとした答えに行きつきません。
大聖人様特有の表現なのか、または、方言のようなものなのか。
もし何かわかったらここで書きたいと思っています。
二、三日前からでしょうか、何と、今年初のアサガオが咲き始めました。

異常気象を絵に描いたような話で、こんなに開花が遅いことなんてありませんでした。

最近、ようやく朝晩が少し気温が下がってきたことも影響しているのでしょうか。
このまま咲かずに終わるのかと思っていたほどなので、アサガオの花を見ることができてよかったです。
昨日は誓願題目講を奉修しました。
お盆を過ぎても暑さがおさまりませんが、御参詣の皆様と唱題行に励むことができました。
御参詣誠にありがとうございました。
誓願題目講として奉修しておりますので、各自、各々の誓願を立ててお題目を唱えています。
ただ、誓願だけではなく、感謝のお題目を唱えることも大切です。
お願いだけでなく、現状に感謝すること、またそこからさらに護持護法を祈っていかなければなりません。
ぜひ、誓願より一歩進んだ唱題行に励んで頂きたいと思います。
諸仏を見たてまつるといえども、なおいまだ了了ならず。目を閉ずればすなわち見、目を開けばすなわち失う
『仏説観普賢菩薩行法経』
たくさんの仏を拝見したといっても、仏の教えに明らかではありません。
目を閉じれば拝見することができますが、目を開けば、仏の姿を見失ってしまうのです。
もしは受持、読誦、解説、書写し、説のごとく修行することあらば、もしは経巻の所住の処、もしは園中においても、もしは林中においても、もしは樹下においても、もしは僧坊においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷曠野にても、この中に、皆、まさに塔を起てて供養すべし。所以はいかん。まさに知るべし。この処はすなわちこれ道場なり。
如来神力品第二十一
そたなたちは、仏様が入滅した後、必ず心を尽くしてこの経を受持し、読誦し、内容を説き示し、書写して、経文の説く通りに修行しなさい。
あらゆる国土の中で、この経典を受持し、読誦し、その内容を解き明かし、書写し、教えの通りに修行しようとするならば、経巻が安置してある場所には、園の中でも、林の中でも、樹木の下でも、僧坊でも、俗人の家でも、殿堂の内でも、山や谷や広い野原でも、どこであっても必ず塔を建てて供養しなさい。
それはなぜか。心して知りなさい。私たちが経典を受持信行するところは、どこでも仏道修行の道場であるからです。
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