蓮の植え替えをしました。

植え替えをしないと根が詰まってしまって、花があまり咲いてくれません。

植え替えをして新しい蓮根を埋め直します。
後は土の様子などをみながら追肥などを行っていきます。
匂いも結構キツく、大変な作業ですが、咲いてくれると本当に嬉しいのが蓮です。
境内のライラックが咲きました。

何度も暑さにやられては、復活してくれて、まだ1メートルほどの小さい木ですが、しっかり咲いてくれています。
それから、今日お伺いしたお宅のお庭にボタンが咲いていました。

とっても綺麗でした。
写真を撮らせていただきありがとうございました!
今日は、こちらの地域では小学校の入学式のところが多いようです。
法眼寺の前を大きなランドセルを背負った新一年生と保護者の方が歩いて行かれました。
ワクワクドキドキの様子を感じることができました。
お寺の子ども会で参加するお子さんに伝えていることですが、下記に書きます。
この記事をお子さんが読むことはないと思いますが(笑)
◇
いちねんせいに なったら ともだちを つくろう といわれますね。
ともだちが できると うれしいです。
だから いっしょうけんめい おともだちを つくろうと がんばってしまう ひとが いるそうです。
ともだちを つくろうと がんばるひつようは ありません。
ともだちは つくるものでは ありません。
ともだちは なるものです。
ともだちになる といいますね。
ともだちは しぜんと ともだちに なるものです。
このひとと ともだちに なろうと むりをしても ともだちに なれるわけでは ありません。
ですから むりをしないで じぶんらしい じぶんで いましょう。
ひとを きずつけたり かなしませたりすることは なるべくしないようにして ひびを すごしてください。
きっとしぜんと ともだちになれると おもいます。
◇
ウスズミザクラに続いてアカシアが満開になりました。

黄色いフワフワの小さい花が華やかに咲いています。
こちらの種類は三角葉アカシアです。
わりと寒さにも強いようで、土があったのか、他の木々よりも元気に育ってくれています。
トマトの植え付けを行いました。

種から育てた苗ですが、例年より早く植え付けました。
少し早いかもしれないと思ったのですが、今年は桜も開花が早いので、試しに早めに植えてみました。
養生しながら様子をみたいと思います。

それからトマトのスキマにコンパニオンプランツを植えました。
虫除けや病気を防いでくれる植物です。
これはマリーゴールド。

こちらはカモミールです。
上手く虫除けできるでしょうか。
こちらも様子見です。
先輩僧侶から、
「御書を拝読するときは、現代にすぐひきつけるのではなくで、やはりその対告者の気持ちになる、鎌倉時代の人間の特性を十分考えてから、自分たちにひきつけなければいけない」
と教えてもらいました。
鎌倉時代の人々の潔さや、無常観などは現代の人々とかなり異なるので、確かに御書を拝読するときは気を付けなければいけないと感じています。
こうやってそれぞれの時代の中で生きた人々のことに思いを巡らすと、異なる部分と共通する部分があって、そのどちらにも学ぶべきことがたくさんあると思います。
そこに気付きがあったとき、ほんの少しですが時間を越えた感があります。
ある方から下記の動画を教えてもらいました。
一次産業に従事する若い世代の方の生の声を聞くことができます。
いろいろな働き方があることがよくわかります。
とても面白かったです。
特に循環する社会の大事さを語る部分は、どこか社会に所属していても社会から隔絶されているように感じてしまう人々に、何か示唆を与えることができるのではないかと思います。
最近、世界が騒がしくなっています…というのは日本にいるから言えることだろうと思います。
世界は大小問わずいつでも争いが絶えません。
とはいえ、昨今の状況を不安に思う方も多くいらっしゃって、そういったことを相談される方もあります。
ネット上などでは、辛辣な意見が交わされることもあるようで、そういう意見を見て胸を痛める方もいらっしゃいます。
争いを望んでいる人からすれば、両極端な意見が強烈に交わされることを望んでいるでしょうから、こういうときこそ冷静な議論をして欲しいと思いますが、人間なかなかそうもいきません。
恐怖は人間の思考を狂わす大きな要因の一つです。
私自身も今の状況を不安に思います。
だからこそ、冷静さを失ってはいけない、投げやりになってはいけない、問題を単純化してはいけないと自省しています。
小さい子どもが、急に黙り込んだとき、大人は
何か言いなさい
とついつい言ってしまいますが、その子は自分の中で起きていることを上手に言葉に表すことができない場合があるようです。
それが、嬉しいのか、悲しいのか、つらいのか、腹が立っているのか。
ですから、近くの大人が、
それは〇〇という状況だよ
と教えてあげると、感情と言葉が上手にくっつくことが出来るんだろうと思います。
それ故、大人はその子が表現できない感情をちゃんと理解してあげなければいけないのですから、非常に大変なことです。
こういうことって子どもだけのことだと何となく思っていましたが、大人もあるんじゃないかと思います。
上手く表現できない感情をみんな持っていて、もう上手く表現できないから、表現することをあきらめている部分もあります。
そして、自分の上手く表現できない感情を〇〇だよと教えてくれる大人もなかなかいません。
仏様の教えに向き合うということは、ある意味、この表現できない感情に向き合うということでもあるのかなと思います。
先日紹介した、夏目漱石さんの「私の個人主義」に
比々皆是れなり
とありました。
意味を調べたですが辞書などではなかなか行きつかず、インターネット上には、
比々皆是なり(ひひかいぜなり)は、至るところに同じような物事がある、どこも皆そうである、という意味の表現です。主に、同類の物事が非常に多く見受けられる状況を表す際、中国語辞書「どんと来い、中国語」によると、中国語の「比比皆是 (bǐbǐjiēshì)」が語源とされています。
とありました。
中国語の言葉がそのまま日本語として使われているようです。
明治期には多く使われていた言葉なのでしょうか。
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