下記の本を読みました。
仏教の大東亜戦争 著 鵜飼秀徳
明治期以降の仏教界の動向、特に日清日露をはじめ、大東亜戦争への仏教界の戦争協力、または反戦運動などをわかりやすくまとめてくれています。
自宗の不都合に切り込むことは大変難しいことです。
歴史をなるべく偏りなく認識し、同じ過ちを繰り返さないようにする。
それが歴史の濁流によって犠牲になった人にできる供養の一つだと思っています。
ただ無自覚に批判や称賛をするのではなく、まずは学ぶことが大切です。
そういう意味では、この本をはじめこの近代の仏教界の動きについて言及してくれることは非常に価値のあることだと思っています。
今年は当地はわりと気温がそれほど下がらないので…、という微妙な言い回しなのは、先日
今年は暖かいですねと言ったら、全力で寒いです
とある方に言われましたからです笑
トマトの苗も少しずつ大きくなってくれています。

ということで、植え替えをしました。
まだ弱々しいようでもトマトの苗は芽が出でしまえば、かなり根性があるので、心配ないと思います。
でも明日から寒くなるようです。
大丈夫かな?
今、この本を読んでいます。
14歳からわかる生命倫理 雨宮 処凛
https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309616858/
こんな文章があります。少し引用します。
科学技術、医療技術の凄まじい発展によって、救われる命は飛躍的に増えた。一方で、テクノロジーの発達に、私たちの「心」は追いついていない。哲学と倫理学も周回遅れのまま、「SFのような近未来的現実」を前に手をこまねいているような状況だ。そうして発達した技術は、私たちに次々と「選択」を迫ってくる。
宗教もきっと周回遅れだと思います。
この選択はもう避けることができないところまできていて、現実に自らの死生観を持つことが必然とされ、その選択をせざるを得ない状態になっています。
ある程度、共通認識の死生観に身を任せることができた時代と、どこまでいっても自己責任だと突き放される時代は、どちらが幸せなのでしょうか?
人工知能、AIは便利なので、もうかなりの人が活用していると思います。
ちょっと気になったことがあって、人工知能はネット上の情報を集めて回答してくれます。
人工知能が便利だから私たちが情報をアップしなくなったらどうなるんだろうと思ったんです。
そこで、人工知能に上記の疑問を聞いてみました。
すると、
もし、皆さんが「AIに聞けばいいから」とネットへの情報発信(ブログ、SNS、レビュー、専門記事など)をやめてしまったら、**「知の枯渇(こかつ)」**という深刻な事態が起こります。
と回答がありました。
つまり、人間が情報をネットにアップしてくれないと困るわけです。
人間が情報をアップする。
人工知能が整理する。
それを人間が利用する。
情報をアップする。
整理する…
これって切り取り方によっては、人工知能のために人間が情報をアップしているようで、怖いですね。。
現在の葬儀は家族葬が主流になっています。
家族葬の定義は本当は決まっていないので、親類が多い、列席者が多ければ、参列者の多い葬儀になりますし、親類が少ない、列席者が少ないとなれば、小規模な葬儀になります。
ただ一般的には小規模な葬儀のことをいうようです。
それでも、普通そうと呼ばる今まで通りの葬儀を行ってくれる場合もあります。
一般の方、友人や仕事仲間なども参列してくれる葬儀では、ご遺族では知らない故人の一面を知ることができたりして、悲しい別れですが、一人の人間の一生に触れることができて、やっぱり良いものだと思います。
それぞれ状況も環境も違うので、葬儀はこうあるべきだというのはよくありませんが、人間は家族だけで生きているわけではないので、葬儀が触れ合ったなるべく多くの人との別れの場で会って欲しいと思っています。
門松を崩した竹で鉢を作りました。

だいたいの大きさに切ります。だいたいです。

そこに穴を開けます。だいたいの位置に。

洗います。だいたいに。

ということでできました。だいたいなのが。
だいたいですが、大満足です。
ほかならぬは、
他ならぬ
と
外ならぬ
と書きますが、意味に違いはあるのだろうかとずいぶん前から思っていました。
調べてみると、違いがあって、
他ならぬ:対象(人や物)が、他でもなくまさにそのものであることを強調する場合。
外ならぬ:その範囲や枠を超えた、特別なものであるというニュアンス。
だそうです。
ただ、最近では、ひらがなでほかならぬと書くことが推奨されているそうです。
こちらのサイトが詳しいです。
悲しいことを受け止めるのはとても難しいことです。
その難しさを理解してもらうこともとても難しいです。
悲しいことなど自分には起こらないと思っていますし、現代人は悲しいことを避けて生きるようになっていると思います。
その一つには、異様なまでのポジティブ圧力で、「いつも前向きでいよう」「自分をアップデートしよう」という意識が強くなりすぎ、「悲しむこと」が停滞、あるいは敗北のように捉えられてしまっているのではないでしょうか。
悲しいことを受け止めることは人間にとってとても大事なことです。
そして、この世の中には残念ながら悲しいことが必ずあります。
そのことを若いときから知ってもらう、悲しいことを受け止めることが難しい事を知ってもらう、そのためにも様々な世代に対して信仰を説いていくことが必要だと思っています。
最近、いろいろなところで孤独が身心共に害となることを聞くようになりました。
人間関係が希薄になった世の中だからということは、もう何十年も聞いてきたことのように思いますが、その希薄さが身心の健康にも影響するということです。
考えてみれば当たり前の事で、人間はもともと力も弱く、集団でいることで生命を維持してきました。
科学技術が発展したといえ、人間のある意味での弱さは変わらないわけで、孤立化すれば不安定化するのは目に見えています。
若い人が人付き合いが悪いと言うようなことを言いますが、実際は年配の方の孤立も目に見えて増えていますし、孤独死の問題は全年代に当てはまるということもいわれています。
四苦八苦には、怨憎会苦とあって、嫌いな人に会う苦しみというのは含まれていますが、いつの時代も人間関係は難しいものだと思います。
でも今の時代は、その難しさを、科学技術を使ってさらに小難しくしているようにも感じます。
下記の本を教えてもらいました。
虫と蟲とムシ 松橋利光著
https://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=31166
読みは同じ
むし
ですが、なるほどこんなに違うんだと驚きます。
いろいろな虫をアップで見ることができるので、気付かない姿もよくわかります。
また、分類の難しさもよくわかり、生物の不思議さも感じます。
こういう本を手に取るとインターネットではなかなか表現できない本の良さを感じます。
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