本日は寺院清掃を行いました。
ご尽力いただき誠にありがとうございました。

芝生にもたくさん雑草が生えています。
ようやく雨が降ってくれたので、だいぶ抜きやすくなりました。
根っこが深く張っていて、寒い冬を頑張って乗り越えてきたんだろうなと感じます。
草抜きをしながら、最近のSNSについての議論などの話をしました。
どんな道具も使い方次第ですが、SNSはいまだに使い方の限度が見えてきません。
見えてこないのは使う側の問題なのか、提供する側の問題なのでしょうか。
深い話にとても勉強になりました。
本日は、誓願題目講を奉修しました。
御参詣の皆様と一時間の唱題行をつとめることができました。
御参詣いただき誠にありがとうございました。
大聖人様の教えは忍辱ということがとても大事だと思います。
お題目を唱えるということにおいても、世間の事を忍辱して日々唱題行に励まなければならない。
布教ひとつにしても、傲慢にならず、相手を屈服させるためではなく、忍辱して相手と向かい合わなければならない。
一時間のお題目も、長いと感じるようでも、忍辱して始めてみれば、あっという間です。
忍辱を意識して信心生活に励んでまいりましょう。
◇
題目講終了後は、お寺で採れたサツマイモを蒸かしていただきました。

なにかいろいろと良く食べていますね(笑)みんなでいただくとなお美味しいのです♪
本日は勉強会を行いました。
ご参加頂き誠にありがとうございました。
引き続き日興上人について学んでいます。
原殿御返事に関して、おさらいをしました。
原殿御返事は身延離山への経緯が示された貴重なお手紙です。
こういうお手紙が現在に残っているからこそ、今も私たちは日興上人の護法の思いを知ることができます。
少なからず日興上人のご意志を引き継いできてくれた方々がいたからこその今であって、私たちが何の気なしに手を合わせることができるということはとても幸せなことです。
私たちも現状に満足せず、よく学び、次の世代に確かな信仰を伝えていかなければならないと思っています。
勉強会終了後には、様々なことを話し合う時間も作ることができました。
やはり対話が大切であると痛感しています。
本日は、月例の御報恩御講ならびに御誕生会を奉修しました。
ご参詣の皆様と謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げ、御生誕をお祝い申し上げた次第です。
御参詣いただき誠にありがとうございました。
今日は寒行も行いました。
ゆっくりとお経を唱える練習をしました。
お仏壇の前に座ったら、すぐにお経を唱えるのではなく、姿勢を整え、次に呼吸を整えてからお経を始めると気持ちも切り替わります。
勤行唱題は、回数や時間ではなく、まずは真心で行うことが大事です。
真心で行うことを繰り返している内に、回数も時間も整ってくるものです。
あれを祈りたい、これを祈りたいというものはまずはいったん置いといて、真心から勤行唱題に励んでまいりましょう。
◇
今日は、安房の甘海苔をお志として頂戴しました。
御本尊にお志を御報告した後にお下げし、参詣者の皆様とありがたくいただきました。
遠く安房の香りを味わうことができました。

お志、誠にありがとうございました。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
謹んで日蓮大聖人様へのご報恩を申し上げました。
よく
御逮夜とはどういう意味ですか?
と聞かれます。
逮夜は、命日などの法事の前日から故人を弔うことをいいます。
地域によっては二日法事と呼ばれたりとします。
むしろ当日よりもこの前日の逮夜を重要とする地域もあります。
最近ではあまり見られなくなった習慣です。
寺院行事としては、さらに深い意義を持ちます。
大切に奉修していきたいと思います。
本日は興師会を奉修しました。
興師会は第二祖日興上人へ御報恩謝徳申し上げる法要です。
御参詣の皆様と謹んで読経唱題申し上げ、ねんごろに御報恩謝徳を申し上げました。
寒い中、御参詣頂き誠にありがとうございました。
日興上人は厳格な方であったと伝わります。
厳しさこそ優しさであることとを体現されて方であったと思います。
この興師会を迎えると日頃緩んでいる自分を反省します。
厳格であられた、弟子檀越のために厳格な立場をとられた日興上人を思いますと、私たちが身を慎んで信仰生活に励まなければいけないと改めて思うからです。
緩慢な自分を反省し、精進をお誓い申し上げました。
法要終了後は御参詣の皆様と芹がゆをいただきました。
日興上人が好物であったとされる芹です。
素朴な味に、当時を偲ぶことができました。
本日は御書素読を行いました。
引き続き種種御振舞御書を拝読しています。
今回は、塚原問答の場面を拝読していきました。
騒ぐ群衆に対して冷静に対処される大聖人様の肝の据わり方に大変驚きます。
また、気になったのは、
塚原と云ふ所に只一人あり。いかにがうなりとも、力つよくとも、人なき処なれば集まりていころせかし、と云ふものもありけり。
と仰せのところです。
ここは、大聖人様を迫害しようとする人々の目線で語られているのですが、大聖人様のことを、
いかにがうなりとも、力つよくとも
と見ていることがわかります。やはり、大聖人様は体躯も優れたお方であったのであろうと想像しています。
本日は、御経日ならびに節分会を奉修しました。
御参詣の皆様と共に、先祖諸精霊の追善回向を申し上げるとともに、節分会の御祈念を申し上げることができました。
皆様には寒い中深信に御参詣誠にありがとうございました。
皆様に「福は内」と豆をまいていただき、和気藹々と豆を拾うことができました。
ご挨拶では鬼子母神についてお話しをしました。
鬼子母神は十羅刹女をはじめとする500、または1000、一万の鬼の母親とされます。
人の子を喰う鬼で、子どもをさらわれて困っていた街の人々が釈尊に相談します。
釈尊は、鬼子母神の末の子を隠します。
街の人々はそんなことをしても鬼子母神にはたくさん子どもがいるからと思っていましたが、鬼子母神は狂ったように末の子を探し始めます。
そして、7日間探し回り、それでも見つけることができなかった鬼子母神は、釈尊に助けを求めます。
そこで、釈尊は、隠していた子どもを鬼子母神に返し、自分の子がいなくなって悲しいのなら、他人の子もさらってはいけないと訓戒します。
この訓戒をよく聞き入れ、鬼子母神は善神になったと伝わります。
こんな当たり前の話と思うかもしれませんが、私たちも他人にされたことは覚えているのに、自分がしたことは覚えていないということがあります。
いじめの問題などがそうです。
被害者は心の傷として深く思い悩むのに対して、加害者はそもそもいじめた記憶すら無いということがあります。
決して鬼子母神のことを他人事と思ってはいけないという訓戒です。
◇
今日の朝はとても月が綺麗でした。

本日は寺院清掃を行いました。
日差しも暖かく、風もあまり吹かなかったので、気持ちよく掃除ができました。
ご尽力頂き誠にありがとうございました。
お茶を飲みながら、映画の話などができたのですが、その中で大聖人様の御尊顔についても話ができました。
今に伝わる御影はどれもとてもはっきりされたお顔をされていますし、伝承ではかなり大柄であったとも伝わりますから、仏教的な大丈夫なお方だったのでしょう。
想像しながらお話しするだけで大盛り上がりでした。

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