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御経日

本日は御経日を奉修しました。

朝から雨となりましたが、御参詣の皆様と、謹んで各家先祖所領の追善回向を申し上げました。

御参詣誠にありがとうございました。

法話では、「四条金吾殿御返事」についてお話をしました。

「頼基陳状」とセットになるお手紙です。

四条金吾は、建治3年の6月に、三位房と一緒に竜象房という天台宗の僧侶と法論をします。

法論には勝ちましたが、これをきっかけとした事件に巻き込まれ、領地没収となってしまいます。

そこからどう立ち直っていくかというのが、これより四条金吾に与えたお手紙の数々で具さにわかっていきます。

いかに大聖人様の心配りが素晴らしいかと、激情家の四条金吾が一方でとても素直に大聖人様の御教導を聞き入れていく様子が分かります。

こうやって四条金吾の姿をみると、人生にはどうしても躓いたり転んでしまったりすることがありますが、そこからどう立ち直っていくか、そこを支えてくれるのが本来の信心ではないかと感じます。

転ばないように祈ることも信心の一つだと思いますが、転んでから起き上がるときに支えとなってくれるのも信心です。

また、四条金吾以外にも三位房や竜象房を反面教師として学ぶことがたくさんあります。

この時期の雨は肌寒さを感じますね。

でもソメイヨシノが各所で花開いています。

良い季節です。

御経日

本日は御経日を奉修しました。

御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。

御参詣いただき誠にありがとうございました。

法話では建治3年5月2日の上野殿御返事についてお話をしました。

端午の節句にあわせてお父様の供養を申し出た南条時光殿に対する返状です。

お祝い事があるとき、そのお祝いは先祖あればこそと思って追善回向に励む。

このような精神性は現代では失われつつあります。

誕生日やお祝い事があるとき、その人におめでとうはもちろん、その人がある今は先祖あればこそとの思いを巡らしてもらえるようになったら素晴らしいことと思います。

南条時光殿はこのとき二十歳そこそこです。

のちに熱原法難で大活躍する南条時光殿の信心はこういう基本的なところにあるのではないかと思います。

今日も暖かい一日でした。

法要終了後はお寺で採れた冬野菜のお味噌汁をいただきました。

体が温まりました。

御経日ならびに節分会

本日は、御経日ならびに節分会を奉修しました。

御参詣の皆様と共に、先祖諸精霊の追善回向を申し上げるとともに、節分会の御祈念を申し上げることができました。

皆様には寒い中深信に御参詣誠にありがとうございました。

皆様に「福は内」と豆をまいていただき、和気藹々と豆を拾うことができました。

ご挨拶では鬼子母神についてお話しをしました。

鬼子母神は十羅刹女をはじめとする500、または1000、一万の鬼の母親とされます。

人の子を喰う鬼で、子どもをさらわれて困っていた街の人々が釈尊に相談します。

釈尊は、鬼子母神の末の子を隠します。

街の人々はそんなことをしても鬼子母神にはたくさん子どもがいるからと思っていましたが、鬼子母神は狂ったように末の子を探し始めます。

そして、7日間探し回り、それでも見つけることができなかった鬼子母神は、釈尊に助けを求めます。

そこで、釈尊は、隠していた子どもを鬼子母神に返し、自分の子がいなくなって悲しいのなら、他人の子もさらってはいけないと訓戒します。

この訓戒をよく聞き入れ、鬼子母神は善神になったと伝わります。

こんな当たり前の話と思うかもしれませんが、私たちも他人にされたことは覚えているのに、自分がしたことは覚えていないということがあります。

いじめの問題などがそうです。

被害者は心の傷として深く思い悩むのに対して、加害者はそもそもいじめた記憶すら無いということがあります。

決して鬼子母神のことを他人事と思ってはいけないという訓戒です。

今日の朝はとても月が綺麗でした。

御経日

本日は御経日を奉修しました。

御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げた次第です。

御参詣いただき誠にありがとうございました。

法話では「道場神守護事」についてお話しをしました。

なにか不安な状況にある富木常忍に法華経の信心が堅固であるものは必ず諸天善神が守護してくれるから心配することはないと励まされているお手紙です。

大聖人様のあたたかいお心を感じることができるお手紙です。

私たちは何か困ったときに祈りを捧げるものです。

人間の性とも呼べると思います。

ただ、このお手紙ではもう少し踏み込んで、日頃の信心があれば、特別に諸天善神の守護を願わなくても、自ずと諸天善神は守護してくれると御教示です。

これは、何か困ったときの信心ではなくて日頃からの信心が肝要なのだと思います。

日々、信心に励むことが何よりも大事なのです。

◇◇

明日以降寒さが厳しくなるようです。

くれぐれも大事にお過ごしください。

御経日

本日は、御経日を奉修しました。

御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。

肌寒い中の御参詣、誠にありがとうございました。

法話では、『松野殿御返事』の後半部分についてお話しをしました。

大聖人様は、法華経の信心は素晴らしいと示されますが、決して簡単ではないと説かれます。

いろいろなことに気を付けて、よく学び、よく精進することを求められます。

それでも成仏は難しいんだと念押しをされるほどです。

現在の何でも簡単に手に入れることができるという風潮とは、全く違います。

考えてみれば、簡単に手に入る物などこの世の中にはほとんど無く、あったとしても小さな事ばかりです。

本当に大事なことを得ようと思うなら、性根を入れて精進しなければなりません。

『松野殿御返事』は大事なことをたくさん説かれている御書です。

是非御拝読ください。

御経日

本日は御経日を奉修しました。

秋晴れというより、かなり気温が上がりましたが、御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。

ご参詣頂き誠にありがとうございました。

法話では、「本尊供養御書」を取り上げました。

法華経の文字、一文字一文字が仏であると示される御書です。

私たち凡夫は、文字は文字としてしか見ることができません。

しかし、仏様はその文字を仏と見ることができます。

その境地に私たちが達することは簡単なことではありませんが、少なくともお経本は大切に扱うことが大事です。

・床に直接置くようなことはしない。

・汚れた手で触らない

・折り返したりしない。

こういったことに気を付けて、勤行をするようにしていきましょう。

御経日

本日は御経日を奉修しました。

ウソみたいな暑さの中でしたが、御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げることができました。

御参詣をいただき本当にありがとうございました。

法話では「四条金吾殿御返事」についてお話しをしました。

四条金吾さんは約40通ほどのお手紙を大聖人様から頂いている大檀越です。

建治年間頃には、主君や同僚とのトラブルに巻き込まれ、人生の岐路に立たされます。

そんな四条金吾に対して、大聖人様は微に入り細に入り御教導をされていきます。

後に四条金吾さんは主君の信頼を勝ち取りますが、ただそれを功徳とみるのではなく、その過程でどのように苦難を乗り越えていくのかを学んだいくことが大切です。

今回は、主君に対して毅然とした態度を示すことの重要性を大聖人様が示してくれているお手紙でした。

なにか難しい状況にあって、私たちも狼狽することも屡々ですが、そういうときにこそ日々の生き方が現れるということを思って、毎日の精進としたいと思います。

御経日

本日は御経日を奉修しました。

ご参詣の皆様と謹んで追善回向を申し上げました。

暑い中のご参詣誠にありがとうございました。

法話では道妙禅門御書についてお話ししました。

道妙禅門の父の病気平癒のご祈念に関するお手紙です。

私たちの信心は願い事を叶えるためのものではありません。

信心の入り口に祈願成就はあっても、最終的な目標はもっと深いところにあります。

願いが叶わないからと言って信心を捨ててしまうのではなく、願いが叶わなかった時ほど、自分の信心を省みていくことが大切です。

御経日

本日は、月例の御経日を奉修しました。

御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。

大変暑い中御参詣いただき本当にありがとうございました。

法話では、『弁殿御消息』を拝読いたしました。

鎌倉におられた日昭師に対して、いろいろな指示がされているお手紙です。

その内容は多岐にわたり、宗祖と門下一同の動きがいかに活発であったかがよくわかる内容です。

その中で、祈りについて言及されている部分があります。

師弟思い合わぬ祈りは、水の上に火を焚くようなものである。

大聖人様はまっすぐに私たちのことを祈り導いて下さっているのに、こちらがわの信心がしっかりしていないと、思い合った祈りにはなりません。

いつでも自分の信心を省みて、信仰に励むことで、健全な信心をたもつことができるのです。

御経日

本日は御経日を奉修しました。

御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。

御参詣誠に有難う御座いました。

法話では「四条金吾釈迦仏供養事」についてお話しました。

大聖人様の御教導は実にていねいで細やかです。

釈迦仏を開眼した四条さんに対して、頭ごなしに正すのではなく、諄諄と悟すことで、弘安年間の曼陀羅授与へと導いていかれました。

私たちも、一時的な理解を強制するのではなく、長い目で見た教導が大事だと痛感いたします。