ある法事で墓前経のときに、その家の若い青年が、お墓の前で長く手を合わせていたことがありました。
その青年の祖母が亡くなったとき、彼はまだ幼くて、たくさん涙を流していました。
悲しいの?
と聞くと、深くうんと頷くその姿をよく覚えています。
それから時間が経って、涙を流さず、お墓の前に立つ彼は、どんなことを思いながら手を合わせていたのでしょうか。
どんなことを思ってたの?
と聞くのが野暮に感じるほど、彼はすっかり成長してくれていました。
おばあちゃんもきっと喜んでくれていると思います。
下記の本の冒頭に経典に関して、簡略にまとめてくれています。
https://www.maruzen-publishing.co.jp/book/b10123312.html
この中で、パーリ語で書かれた経典と、その漢訳のどちらが古いかと言うことに関し、精査の結果、漢訳の方が古い可能性があるとの見解が示されています。
なるほど、aがbに訳されたのではなく、aがbに訳され、a自体がcに変化していったということのようです。
bが漢訳。
cが現在に伝わるパーリ語。
面白いですね。
本日は勉強会を行いました。
今回から日興上人に関して学んでいます。
第二祖日興上人。
初心の方は、日興上人?二祖?となります。
そこで、最初のところから説明をしていくことにしています。
厳格な日興上人。
二祖という立場であれば、そうならざるを得なかったと思います。
その日興上人の慈悲深いお姿も学んでいくことができるかと思います。
参加者の皆様からいろいろと意見や質問もでています。
皆で学んで考えて行きたいと思っています。
御書の御文をすらすら言えるようなりたい
という声を聞きます。
確かに、サラッと言える方がいらっしゃって、あのように思い出せたらと感じます。
ある方にそのことを聞いたら、
1.とにかく繰り返し読む
2.見えるところに掲げる
3.日常の中に御文を当てはめる
が努力していることだそうです。
特に、3.は、日常の中の出来事を、
ああこのことをおっしゃっていたんだ
と思うことで、御文の見え方が変わるそうです。
日頃からの努力が欠かせないのですね。
パンジーとビオラが株が弱ってきたので、切り戻すことにしました。

根本付近まで切り戻しました。

これでまた花が咲くかなと思ったのですが、そもそもビオラもパンジーも5月ごろまでが開花時期でした笑
ということで、うまくいけば夏越しができるそうなので、このまま様子を見たいと思っています。
子どもたちの話を聞いていると、
あの子、変。
とか、
あの子、違うよね
などと言うことが結構あります。
自分と違うところに目が行くようです。
思春期に入った子は、
あの子、私とおんなじなの
とか、
あいつ、オレと似てるんだ
と、同じところを探すように思います。
そこから歳を重ねると、
違うところに目が行く人と、共通のところを大事にする人と、
二つに分かれるように思います。
どちらがいいというわけではないのですが、いつも不思議だなと感じることです。
最近のご意見