本日は御報恩御講を奉修しました。
朝は冷えましたが、午後にはすっかり春らしくなり、御参詣の皆様とともに宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げました。
ご参詣を賜り誠にありがとうございました。
法話では、南条殿御返事についてお話しをしました。
建治2年のお手紙です。
御供養の志について御教示があります。
まだ10代の南条殿に対して、御供養をするということは、法華経を直接供養する、法を護ることになる、その志があってこその御供養であると仰せです。
志を大事にすることを改めて考えさせられる御書です。
短い御書ですが、文末には日興上人に何度も読んで聞かせてもらいなさいと大聖人様は仰せになられています。
私たちも何度も大事に拝読していきたい御書です。
本日は御逮夜法要を奉修いたしました。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げました。
法話では南条殿御返事をお話ししています。
建治2年のお手紙ですので、まだ南条殿は10代です。
10代にして一家の当主となり、幾人かの家来も抱えていたことであろうと思います。
その中で志を立てて信心をしていくことは並大抵のことではなかったと思います。
よく「信心は年齢ではない」ということを聞きますが、確かにその通りで、年齢によらず、結局は志があるかないかの違いなのであろうと思います。
本日は御報恩御講並びに御誕生会を奉修しました。
今日も寒さが厳しかったですが、御参詣の皆様と日蓮大聖人様への御報恩謝徳をねんごろに申し上げした。
皆様には御参詣誠にありがとうございました。
大聖人様は貞応元年2月16日にご生誕遊ばされたと伝わります。
この前年、承久3年に承久の乱が起こり、武家政権が確立しました。
天皇が敗れるという事態に社会も混乱を極めたでしょう。
そのようなときに混乱の影響をもっとも受けるのは、立場の弱い人間たちです。
その立場の弱い人から救っていこうとされたのが大聖人様です。
せんだらが子の宣言はそれだけ大きな意味を持ちます。
800年を経てなお私たちを導いてくださる大聖人様。
そのご誕生を各家庭の御仏壇でもお祝い申し上げてください。
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昨日、一昨日に比べると少し寒さも和らいだように感じます。
春は近いですが、まだまだ気を抜かず過ごしてまいりましょう。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げました。
最近、インターネットで情報を得た方の中でちょっと偏った物の見方になっている方がいらっしゃいます。
何か物事の原因を安易に決めつけてしまっているように感じます。
インターネットはどれだけ閲覧されたかがとても大事なので、そこで真実のことが話されているとは限りません。
また自分が得たい情報ばかりが自然と表示されやすくなりますので、いつの間にか世の中全体が一つのことに覆い尽くされていると感じてしまいます。
大手メディアが力を失う中、自分で情報を得ていく時代になりました。
だからこそ、自分の思いを納得させる情報ではなく、たとえ自分にとって不都合な内容でも、物事の真意を受け取ろうとする姿勢が重要です。
大聖人様も、悪いものは良いもの姿で近寄ってくると仰せです。
自分の耳に優しい情報に騙されないようにしましょう。
本日は本年最初の御報恩御講奉修いたしました。
少し寒さもゆるみましたが、それでも冷え込む中、ご参詣の皆様と宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げることができました。
ご参詣いただき誠にありがとうございました。
法話では松野殿御消息を取り上げました。
一度も大聖人様にお目通したことがなかった松野殿が深心のお志を届けられたことに対する返状であるとともに、御供養とはいかなるものであるかが示されたお手紙になります。
法華経を信受するものは、世間的な価値観を超えてすぐれること。
法華経をただ読むことと、お題目を真心から唱えることは違うこと。
釈尊を供養するより、法華経の行者を供養することの方がすぐれること。
どのご教導も自省を促されるものです。
ぜひじっくりとご拝読いただきたいと思います。
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寒さが厳しいですね。くれぐれも大事にお過ごしください。
本日は本年最初の御逮夜法要を奉修いたしました。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げました。
寒さが厳しいですが、御報恩読経唱題ができますことをとてもありがたく思う次第です。
ところで、最近マインドフルネスと仏教ということが盛んに語られているようです。
あまり関心できるものではないように感じます。
瞑想に関する行法は細かくは違えどどの宗教にもありますから、特別仏教が…ということでもないように思います。
時勢にのってか、流行りにあわせてかはわかりませんが、信仰のないところにやたらと踏み込むのはいかがなものでしょうか。
本日は本年最終の日曜の御報恩御講を奉修しました。
朝から冷え込む中、御参詣の皆様と日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。
また、御講終了後には親睦会が行われました。
親睦会のために朝から有志の方々とパンを作って焼きました。
美味しいパンが出来上がり、パンを頂きながら、話も盛り上がりました。
その話の中で、先日説法で聞いたことを若い人に聞いてもらいたいというお言葉を頂きました。
本当に有難いことだと思います。
本年も最終の御講を迎えることができて、本当に嬉しいです。
これより正月の準備が始まります。
皆様には日蓮大聖人様への御報恩をもって正月をお迎えできるよう、御尽力をお願いいたします。
本日は誠にありがとうございました。
とっても楽しい1日でした。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げました。
気付けば、もう12月となりました。
明日は本年最終の日曜御講です。
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YouTubeなどで、いろいろと御質問をいただいて、調べ直してみるとずいぶんと勘違いして理解していたことが多くあることに気が付きます。
10理解をして、1をようやく話せる
と聞いたことがありますが、逆に話してみないと気付かないこともあります。
インプットとアウトプットはいつも同時にあるべきだなと思います。
本日は御報恩御講を奉修しました。
気温がぐんぐんと上がる中でしたが、皆様と日蓮大聖人御正当会の御報恩御講をねんごろに奉修することができました。
ご参詣頂き誠にありがとうございました。
法話では法蓮抄についてお話しをしました。
仏様を大変長い間害するより、法華経を行ずる人を害する罪の方が重い。
仏様を大変長い間讃歎するより、法華経を行ずる人を讃歎する功徳の方が大きい。
にわかには信じがたい教えですが、法華経法師品では上記のように説かれると法蓮抄で御教示です。
法華経は諸仏の種であることを考えますと、法師品の御文のいわんとすることもおわかりいただけるのではないかと思います。
その他、提婆達多と釈尊のエピソードがでてきますが、今の時代にも当てはまることばかりで、大聖人様の教えが時代を超えた普遍性のあるものであることを痛感します。
後半部分は次回にお話ししたいと思っておりますが、法蓮抄は長い御書ですが、是非御拝読いただきたいです。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
当山の御会式は米月に奉修しますが、本日と明日は新暦での日蓮大聖人御入滅の御逮夜、御正当会にあたります。
格別な心持ちで御報恩の読経唱題につとめました。
弘安5年10月12日より13日未明にかけて、大聖人様は御入滅へ向けて安祥な姿をお示しになられていきます。
そのまわりには多くの弟子檀越が集い合い、お題目を唱えていたと伝ります。
その様子は、大変に厳かで有難いものであったでしょう。
今はその御入滅にいたられる姿は想像するしかないのではございますが、心に御本仏を想い描いて、御報恩謝徳を申し上げたいと思います。
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