本日は御書素読を行いました。
ご参加頂き誠にありがとうございました。
先月に引き続き『種種御振舞御書』を拝読しています。
竜口法難から本間邸に移された大聖人様が、佐渡流罪までにどのように過ごされたかがわかる部分です。
諸天を生身の神さま見ていた大聖人様の姿勢がよくわかります。
拝読する度に気付かされることが多くあります。
今年も丁寧に拝読していきたいと思います。
ちょっと技術的なことなのですが、法話などを録音した音声を聞きやすくするにはどうしたらいいかと質問がありました。
あまり専門的なことはわからないのですが、短い音声であれば、AdobePodcastが便利です。
使い方はこちらのサイトが分かりやすかったです。
https://note.com/uminekozawa/n/necd6306fde28
何かの参考になれば幸いです。
本日の山陽新聞のコラム「滴一滴」は下記のような内容でした。
https://www.sanyonews.jp/article/1855171
お祝いの日に、生死のことを語る大切さを感じました。
ちょうど今日聞いていたラジオで、もと検死官の方が、
「死ぬことを語ることがもう少し日常にあってもいいと思う」
というようなニュアンスのことを語っておられました。
終活は、まずは家族と死について語ることから始めてはどうかとも仰っていました。
なるほどと思いました。
確かに、死について語ることが何だか難しくなっている現代はあまり良い状況だと思いません。
もう少しざっくばらんに死について語り合っても良いのではないかと思います。
本日は、初御講を奉修しました。
朝から風も強く、御講が始まる頃には雪も降り始めましたが、御参詣の皆様と本年最初の御報恩御講を奉修することができました。
寒い中、御参詣いただき誠にありがとうございました。
法話では、長者窮子の譬を中心にお話しをしました。
妙法蓮華経信解品第四で説かれる譬喩です。
まるで人情噺のように話が展開されます。
その中では大事なことがたくさん説かれるのですが、今回は、窮子が出直すときに、便所掃除から始めたこと。
また、長者が皆に、怠けず精進しなさいと語ることに注目しました。
何かことが起きたときは、まずは身の回りの小さいこと頃から少しずつ始めて行くこと。
いろいろなことがあっても怠けず取り組み続けること。
これを本年の目標にして、互いに精進していまいりましょう。
◇
急激に寒くなっています。
事故等に気を付けてお過ごしください。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
本年最初の御逮夜法要にあたり、謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げた次第です。
法話では、妙法蓮華経信解品第四の長者窮子の譬えについてお話しをしています。
◇
今日は昼頃からものすごい風が吹いています。
しかも、その風が少し生暖かく、まるで春先の風の強い日のようです。
変な天候です。
ご近所さんと話をしていて、人間関係の距離感について、とても考えさせられました。
社会人としてはもちろん、友人、それから親子の間でも距離感は重要だという話でした。
社会人としては、現代はあまり密にならない距離感が求められますが、その結果、希薄になってしまった関係性によって集団の力が発揮しにくくなっています。
友人関係はどうでしょうか?
何となくですが、以前よりも異様なまでに密な関係や純粋性を求めすぎる傾向にあり、距離感としては近すぎる人も多くあるように感じます。
snsなどの影響でしょうか。
時間に関係なく距離を縮められようとすることによる負担もあるかと思います。
親子関係はもっと複雑だと思います。
距離感が離れすぎて、子供にまったく興味を持たない保護者の方もいるようです。
子供が声をかけてもスマホに夢中な方を街でもよく見かけます。
一方、親子関係が近すぎて、お互いに依存の関係性なってしまっている方も、これも多いように思います。
距離感は難しいです。
ご近所さんと、お互いの距離感を測ってくれる第三者を大事にすることが今の時代なくなっているのではないかと話をしました。
昨日、地震がありました。
こちらは揺れもそれほどでもなく、少し立てかけていたものが倒れたくらいでした。
ただ、昨日から皆さんのお話を聞いていると、結構近い場所でも揺れの様子が違うようです。
長く揺れたと感じた方もいらっしゃいました。
そう考えると自然災害は怖いなと思います。
大雑把にくくれるわけではなく、その場所その場所によって対応も違ってくるでしょう。
他人事と思わず、平時から対応を考えて、行動してみることが大切だと感じました。
倉庫を整理していて、中身が残っている古いスプレー缶を見つけました。
噴射のところを押しても中々中身が出ません。
捨てるためには中身を出さないとと思い、そこをカナヅチのとがっている方で穴を開けたら、中身が噴射して全身にかかりました。。
体に害のあるものではなかったので良かったですが、気を付けなければいけないなと思いました。
時間はかかってもできるかぎり噴射するところを押して中身をだし、中身が少なくなったのを確認してから穴を開けた方が良いと思います。
また自治体によっては廃棄の方法が違いますので、そちらも必ず確認するようにして下さい。
それにしてもびっくりしました。。
昨日に引き続いて、土光敏夫さんの言葉を紹介します。
本は、「日々に新た」からです。
ぼくが現役時代、新聞記者からよく「お経を読むことで経営に役立ちますか」ってきかれたが、直接、経営に役立つかどうかは別として、人間が生きていく上で、心のよりどころになるのは「宗教」じゃないか。人間は「信仰」をもつべきだね。ー中略ー宗教は拝んでいればご利益があるというものじゃない。会社が儲かるようにとか、受験に合格するようにとか、目先の利益のためではないと思う。拝んで慰められるなら、それもいけないとはムゲにいえないけれど、あくまで自分の心の問題ーー安心ですよ。
10ページ
宗教に対する捉え方というのは人それぞれですが、信心深いということはどういうことだろうかと考えます。
毎日何時間もお題目を唱えていても、自己中心的なことばかり祈っているのが信心深いといえるのか。
他人の信心に触れて、自分の信心を微調整していくことが大事だと思います。
こんなにやっているのに…なんて思ってしまうと非常に勿体ないことです。
土光さんの信心に触れて、皆さんは何を思うでしょうか。
土光敏夫さんの「日々に新た」を読んでいます。
もう今は絶版のようです。
熱心な法華信仰者であった土光さんの言葉です。
…普通の人とはちょっと違うのは、朝晩、お経をあげることだろうか。これは小さいときからの習慣で、そうしないと気がやすまらないからです。ー中略ー現役時代もいろいろな失敗があった。だから家に帰って寝る前に、「きょうも失敗しました。あした頑張りますから」といって、お経をあげながら懺悔するわけだ。それで安眠できるんです。ぼくは安眠しないと次の日、動けない。そしてあくる朝起きたら、「きょうはもう少し本気でやりますから…」と手を合わせる。ぼくみたいな凡人が生きていくためには、精神の安定が要るわけですよ。つまり、お経をあげるのは、気持ちの上で区切りをつけることなんだ。過ぎ去った一日に過ちはなかったか。あるいはこれから迎える一日を正しく送れるかと。
習慣の中の読経は特別なことではなく、しかし、何事にも代えがたいものなのだと思います。
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