雑記

プロのスポーツ選手の話などを聞くと、自分の体との対話を毎日繰り返しているということがよく分かります。

外から入れてくる情報も大事なのですが、そもそも自分との対話が必要ということなのでしょうか。

いざ自分に向き合ってみると、思っている以上に分からないことが多く、また日によっても自分というのは変化しますので、その変化になかなか追いつけないということがあります。

それなのに自分と向き合い続けなければいけないというのは、非常に孤独な作業であると感じます。

信心をする上でも自分との対話をするのですが、幸いに仏様を通して自分を省みますから、それほど孤独感を覚えることはありません。

信心のあたたかみは、こういうところにもあると思います。

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