譬喩品に「人にしたしみつくとも、人心にいれて不便とおもふべからず」と説きたり。
四条金吾殿御返事
【訳】法華経の譬喩品に「自分の方から人に親しみ近づいても、相手は本心から不便とは思ってくれない」と説かれる通りである。
他人は自分が思うほどに、自分を思うわけではない。
だから、見返りを求めて他人に近づけば、自分が傷つくこともしばしばだ。
信仰においては、特に見返りを求めぬ姿勢を保ち続けることが肝要だ。
夏至は今日ではありません。
毎年過ぎてから気づくので、先に調べました。
本年の夏至は、
です。
夏至は毎年移動します。
だいたい20日か、21日か、22日ですが、それではアバウト過ぎです。
当宗は、夏至に何かを行う行事はありませんが、諸天供養を行われていた大聖人様はこの日をどのように過ごされていたのだろうかと想像しています。
相談というわけではありませんが、
他人の悪口を言ってくるから、何となくその悪口に付き合っていたら、その悪口を言ってきた人が、今度は他の人と自分の悪口を言っていた。驚いた。
ということを聞きました。
よくある話だとは思いますが、自分の身に起きるとショックなことです。
悪口を言う人は、内容よりも、悪口を言うこと自体が目的になっている場合があります。
そういう人にとっては、前後錯誤だろうが、支離滅裂であろうが、関係はありません。
ただ悪口を言いたいだけだったりするのです。
ですから、やっぱり最初から他人の悪口には付き合わない方が良かったりします。
付き合わなければ巻き込まれることもありません。
吾妻鏡を読もうと思い、まずは参考になる本と思い、探してみると、
吾妻鏡―鎌倉幕府「正史」の虚実 藪本勝治 著
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2024/07/102814.html
がありました。
本書では吾妻鏡に大まかに四つの区切りがあるとしています。
下記にあげます。
①頼朝将軍記
②頼家・実朝将軍記
③頼経将軍記
④頼嗣・宗尊将軍記
ただし区切りがあるとはいえ、視点によって三つに別れることも指摘しています。
本書は大変読みやすく勉強になります。
許しと無関心に違いはあるのか。
言葉遊びのようになってしまいかねないこの違いに対して、どのように考えるべきでしょうか。
許しは、自分がなんらかの害を受け、その加害の人を許容することなのか。
これも違うと感じます。
許しは相手の行為自体を許すことではありません。
もしかしたら、自分自身に対する許しかもしれません。
感情にある程度の整理をつけ、相手を許すわけでなくても、その状況を自分自身が許容できるか。
こう考えると、とにかく自分も相手のことも、その状況を考えたくないから無関心でいようとする、これは許しとはやはり違うように思います。
中国の諺に、
水を飲むときは、井戸を掘った人のことを絶対に忘れない
があります。
飲水思源ともいいます。
御信徒と話していて、ふと思い出しました。
恩の思想ですね。
大切にしたい戒めと思います。
昨日、アジサイのことを書きましたが、ガクアジサイとヤマアジサイは違うようです。
でも、写真を見る限り、花の形はとても似ています。
どうも葉っぱの形が違うようで、
ガクアジサイの葉は分厚く、光沢がある
ヤマアジサイは薄い、光沢がない
特徴があります。
では、境内のアジサイは…、たぶんガクアジサイだと思います。
大きさでも違うようですが、まだどのアジサイも小さいので、大きさではわからなそうです。
そのうち、2〜3メートルになるようならガクアジサイで決定なのですが。
そうなる前に結構剪定しているので、結果はわからなさそうです。
すっかり梅雨となり、1日降ったり止んだりの雨と、たっぷりの湿気の中で過ごす1日となってきました。
このような時期は不便なこともありますが、アジサイがとっても綺麗に咲いてくれます。

ガクアジサイは、ぼってりならないところもなかなか良いです。
調べてみると、ガクアジサイとヤマアジサイがとても似ているそうです。

こちらのアジサイはどちらか。
もう少し調べてみます笑
読んでいる本で出てきた言葉です。
夜郎自大
やろうじだい
夜郎は中国の前漢時代まであった小国の名前です。
夜郎の国の人が漢の巨大さを知らずに自らの大きさを誇ってしまったという故事から、自分の力量を知らずに自惚れている様子をいうそうです。
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