昨日は火鉢のことを書きました。そんな火鉢で暖かくなるのかというと、現代の暖房器具のような暖まり方ではなくて、空気全体が何となく暖まるといった感じです。
では鎌倉時代の暖房器具はどのようなものが使われていたのか…、となるとこれがなかなか分かりません。
記録上に残るのは、貴族や武家のことばかりで、庶民の生活はなかなか見えてこないからです。
一説には江戸時代寸前くらいまでは、庶民は竪穴式住居のような住まいに住んでいたということを聞いたことがあります。
いずれにしても、庶民でいえば、囲炉裏のような暖房器具を使っていたのかなと思います。
ただ、竪穴式住居の場合、冬は火を焚きっぱなしにするらしく、結構室内は暖かいらしいです。
徒然草に、日本の家は夏にあわせて作ることということが書かれてありますが、冬はきっと寒かったんだろうなと思います。
ちなみに、鎌倉時代は暖かかったと言われています。
でも冬はやっぱり寒いと思います。。
今日は雨から雪へと変わり、また雨となりました。
気温としては少し高めなはずですが、とても寒く感じる一日でした。
法眼寺では、火鉢を使用しています。
ストーブなどの暖房器具のような暖まり方はしないのですが、ほんのり暖まる感じがとても心地よいので使用しています。

ただなかなか炭を長持ちさせることができませんでした。
備長炭を使えば長持ちするのは分かっていますが、とはいえ、なかなか高価でもあり。。
試行錯誤の末、今の組み合わせは、
ならの木炭+おがたん
を使用しています。
ならの木炭は一気に火が付くのですが、時間が持たない。
おがたんはなかなか火が付きませんが、長持ちする。
そこで二つを組み合わせると、コンロで10分もあぶれば、火が付くので、そのまま火鉢においておけば、上手い具合に長持ちしてくれます。
まだまだ寒いようなので、いろいろ工夫をしながら暖を取りたいと思います。
拭き掃除をするにして使うのは水!ということを別にこだわっているわけでもないのですが、バケツにはるのは水でした。
ここ数日のように寒い日はやっぱり冷たい。
アカギレなどがあるとしみます。
先日、掃除を専門にした仕事をしている方とお話すると、
お湯を使うよ
とキッパリ仰いました。
やっぱり冷たいですもんね
と答えると、
いや、汚れが落ちやすいからです
と答えられました。
寒くない日でも汚れによってはお湯を使うそうです。
確かに変にこだわって頑張るよりも、汚れに合わせてお水やお湯を使い分けた方がいいですね。
こだわりは結構モノの見方を曇らせてしまいます。。
言葉には言葉が持つ意味と、その言葉が発する音のイメージというものがあるそうです。
たとえば悪役の名前などは、わりと世界共通に使われる音があったり、またさまざまな言語でお母さんを意味する言葉にはMの音が使われることが多いそうです。
そうすると、悪い言葉、人を傷つける言葉には、やはり人を傷つけるような音が含まれているとも考えられます。
悪口を言うと自分に返ってくる
と言いますが、上に述べたように、悪口に悪い音感があれば、それは発する方にもダメージを受けるわけで、まさに、悪口を発した人にも悪口は返ってくるわけです。
ですから良くない言葉はなるべく使わない方が自分を大切に出来るということになります。
門松で使用した竹は、鉢にしたり、花器にしたり、いろいろと活用します。
ただ、腐ってしまうことも多くて、どうしてだろうと思っていました。
詳しい方に聞いてみると、竹は油抜きをしないと、水分が抜けず、また虫も入りやすいそうです。
ということで、少しだけですが油抜きをしてみました。

湿式と乾式の方法があるらしく、湿式だと苛性ソーダを扱うので、素人には無理。
乾式は火で炙って表面に出てきた油を拭えばいいので、今回は乾式にしました。
どれくらいすれば良いのかなどは分からないのですが、やってみないと分からないので、繰り返す内に匙加減も分かってくるかなと思っています。
ここで何度か述べてきた「哲学と宗教全史」ですが、本日読了しました。
随分時間がかかりましたが、自分でも時間をかけて読もうと見っていた本なので、何度も読み返したりしながら最後まできました。
この本がいいなと思ったのは哲学と宗教を立て分けしないことです。
当たり前のことなのですが、哲学と宗教は領域を同じくして、ここまで続いてきています。
そこを無理に立て分けるような本もあるなか、本書はそれがありません。
そうにう意味で、人間の知がどのように発展してきたかを本書から学ぶことができるのではないでしょうか。
温床の調子が良さそうなので、トマトの種まきをしました。

今回は大玉トマトと中玉トマト、そしてミニトマトの種を蒔きました。
10日ほどで目が出ると思います。
周りをみると結構雑草が生えています。

こんなに寒いのに、少しの春を感じているのでしょうか。
なんだか感動します。
動画を作成していますが、その中で少しいわゆる大乗非仏説について述べました。
あくまで全くの私見になりますが、現代の感覚で仏教を語れば、厳密な意味で釈尊自身が説いた仏説は何一つないと思います。
そもそもが仏教経典は聞書の体裁(如是我聞)であるからです。
もちろん釈尊が説いたであろう教えに非常に近いとされる初期仏教があるのは間違いありません。
しかし、その初期から仏教がいろいろな国と地域に入って、その国や地域の人に受け止められていく中で、仏教自身が得た経験知や集合知などが詰まった教え、それが大乗仏教であると思います。
ですから、釈尊の直説のようなものにこだわるあまり、仏教が持つその経験知を捨ててしまうのは非常に勿体ないように思います。
私は大乗仏教もたしかな仏説であると思っています。
下記の本を手に取って読んでみました。
一般の恐竜図鑑よりはかなり専門性が高いのですが、内容が非常に面白いです。
定説となっていた分類にも新説が出されていて、新たな分類方法が生まれてくるかもしれません。
とにかく活発な議論がなされていることが活気があって素晴らしいことだと思います。
恐竜の分野に限らず、他の分野の少し専門的な図鑑や資料集も手に取って読んでみたいと思いました。
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