大聖人様の『種種御振舞御書』という御書の一節に
ちやうとは詰め詰め
というお言葉があります。
意味は、
きっちりと理論立てて詰めに詰めたので
というような意味です。
古来よりこのような意味でとられているのですが、この
ちやうとは
はどういう意味か調べると、あまり良く分かっていないようです。
以前から調べているのですが、なかなかはっきりとした答えに行きつきません。
大聖人様特有の表現なのか、または、方言のようなものなのか。
もし何かわかったらここで書きたいと思っています。
二、三日前からでしょうか、何と、今年初のアサガオが咲き始めました。

異常気象を絵に描いたような話で、こんなに開花が遅いことなんてありませんでした。

最近、ようやく朝晩が少し気温が下がってきたことも影響しているのでしょうか。
このまま咲かずに終わるのかと思っていたほどなので、アサガオの花を見ることができてよかったです。
ワイヤーの草刈機を使用していますが、下記のような部品を使うと、ワイヤーを楽に出すことができます。
便利で以前から使用いていますが、一時期からワイヤーが排出されなくなりました。
時期によっては毎日のように使うので、さすがに壊れたのかなと思い、手動で出していました。
今日、同じように手作業で出していたのですが、ふと気づきました。
なかのボビンに巻きつける方向が逆でした。
巻き直したら今までが嘘のようにちゃんと排出されるようになりました。
…という使用しない方には全く関係ない話ですが、こういうちょっとした間違いが決定的なことになることがよくあります。
本当にちょっとしたことで、ちゃんと確認すればわかることなのに、確認するのを行なったために、ものすごく無駄な時間を過ごしてしまう。
今日も何だかすごく反省させられました。
一つ一つの確認が大事です。
まだまだ夜は暑いのですが、何時ごろからでしょうか、草むら辺りから虫の声が聞こえてきます。
こんな早くからと思いますが、本来の季節感からいえば、もうこの時期は秋を感じ始める頃ですもんね。
姿は見せませんが、たぶんコオロギだと思います。コロコロ?チョロチョロ?可愛らしく鳴いています。
今日はお盆の送りの日です。
少し夕暮れが寂しく感じます。
でもまだとても暑いんですね。
最近、夕涼みなんて言葉を聞かなくなりました。
近くのスーパーに行くと、お盆のお供えが山のように積んであり、〇〇%引きなんて書いてあります。
お盆の法話ではお塔婆についてお話しをしました。
お塔婆は諸精霊を思う志があらわれたもの。
だから大切に扱って欲しいという話です。
そして、心があらわれた仏壇やお塔婆を大事にするということが、万事、こころやものを大事にするということにつながるのではないかと思うのです。
昨年からお米ことが話題によくあがります。
手に入らないといったり、高いといったり。
でも、これはもう何十年も言われていることですが、私たちは大量の食品を廃棄してもいます。
ないないと言いながら、まだ食べられるものを捨てている。
矛盾しているのではないでしょうか。
ご家族や有縁の方とこころやものを大切にすることを今一度確認し合って欲しいと思います。
本年は、昭和100年、戦後80年の年です。
この100年は激動の時代だった言われます。
その他の時代も激動でしたが、確かにこの100年は歴史上稀な時代であったと言えるかも知れません。
それは、昭和20年までの間に世界中で大変な数の方々が戦争で命を落とし、その後、日本においては80年間、あの悲惨な戦争の戦後として時間が流れてきたからです。
あの戦争をどのように受け止めるべきなのか。
今後に繋げていくべきなのか。
これまでの80年がそうであったように、今を生きる私たちの大きな課題です。
その課題の答えを見つけるためにも、自分なりに戦争に関わった人々の戦後の発言を読んでいます。
しかし、その発言者の地位が上がれば上がるほど、これは大変失礼であるのを承知で述べるのですが、結局のところ、当事者同士の壮大な言い訳合戦が行われているだけで、何も本質的なことは語られていないと感じるのです。
そのうちに思考停止に陥ってしまい、
「あの戦争に負けて良かった。あの戦争に負けたおかげで、自分は戦争にいかなくてすむ」
と思ってしまいます。
その方が楽だからです。
でも考えるのを止めてはいけません。なぜなら、考えるのを止めてしまったら、また同じ過ちを繰り返してしまうと思うからです。
「考えたって何になる?」
という人もいるでしょう。でも多くの人が言っているように、考えることを止めたとき、ことはあらぬ方向に進み出してしまいます。たとえ解決策がなくても、打開案が思いつかなくても、歴史の中に答えを見いだすことができなくても、考えている間は断定的な行動をすることはないはずです。
考えなくなれば、これだと思うことに終始し、別の見方も他者の見解もくみ取ることができなくなってしまいます。
「考えているばかりでは何もできない」
という人もいるでしょう。実行力が大事だという人もいます。災害などの緊急事態のときには考えていると遅くなる…。それは緊急事態が起きてから考えるからいけないのです。起きる前から、みんなで考え続けることで、不測の事態にも対応できるはずです。
80年前に起きたことは、確かに難しい問題で、私では何一つ答えを見つけることはできません。
それでも、考えなければなりません。
歴史家の磯田道史は、
「その事実を自分という一人の人間として許せるか許せないかを考えなければならない」
と仰っていました。
大きなくくりで考えることも大事ですが、起きた事実を自分という人間を通して考え判断することが大事なのだと思います。
これから先の人々が考えるのを止めてしまわないようにするためには、まずは今を生きる私たちが考えることを続けていかなければなりません。
単純明快な思想や扇動的で安易な答えに飛びつくのではなく、私も常に考え続けていきたいと思います。
戦没者諸精霊へ謹んで御回向を申し上げます
今年も夏休みお寺子ども会を行うので、その準備をしています。

切り出してきた竹です。
こちらで竹を伐らせていただきました。
https://www.kurashiki-tabi.jp/rm_see/rm-see302/
とても親切に竹のことを教えていただきました。本当にありがとうございます。また行きたいです。
その竹を加工します。

何にするかは…、秘密…にはできませんね笑
この時期に竹を半分に割ったら。
ということで、うまくできるように準備を進めます。
この時期、御信徒の家にお伺いすることが多いのですが、色々と気付かされることや考えさせられることが多くあります。
ある御信徒のお宅は特別派手なこともなく質素な生活をされていて、一つ一つがうまく表現できませんが、とても丁寧です。
新聞なども折り直して重ねてあったり、倒しておいてしまいそうなものちゃんと立てかけていたり、誰が訪ねてくるでもないですがお花がさしてあったり。
ものがなければ生きられないと思いがちですが、ものがなくても丁寧に生きることができる。
とても豊かさを感じる生き方だと思います。
本日は久しぶりの雨が降りました。
5度くらいでしょうか、気温も低くなりました。
それでも30度を超えていました。
いつも疑問に思うのですが、平均気温が100年で1〜2度上がったといわれていますが、体感ではもっと上がっているように思います。
調べてみたら、平均気温はその日の最高気温と最低気温から算出したものを年平均で出すようで、その結果、数字としては緩やかな増加になるようです。
一方、極端に暑い日や、熱帯夜などが続くため、体感の温度は数字より高く感じるみたいです。
いずれにしても、夏の過ごし方を根本的に見直す必要があるのかもしれません。
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