80年
本年は、昭和100年、戦後80年の年です。
この100年は激動の時代だった言われます。
その他の時代も激動でしたが、確かにこの100年は歴史上稀な時代であったと言えるかも知れません。
それは、昭和20年までの間に世界中で大変な数の方々が戦争で命を落とし、その後、日本においては80年間、あの悲惨な戦争の戦後として時間が流れてきたからです。
あの戦争をどのように受け止めるべきなのか。
今後に繋げていくべきなのか。
これまでの80年がそうであったように、今を生きる私たちの大きな課題です。
その課題の答えを見つけるためにも、自分なりに戦争に関わった人々の戦後の発言を読んでいます。
しかし、その発言者の地位が上がれば上がるほど、これは大変失礼であるのを承知で述べるのですが、結局のところ、当事者同士の壮大な言い訳合戦が行われているだけで、何も本質的なことは語られていないと感じるのです。
そのうちに思考停止に陥ってしまい、
「あの戦争に負けて良かった。あの戦争に負けたおかげで、自分は戦争にいかなくてすむ」
と思ってしまいます。
その方が楽だからです。
でも考えるのを止めてはいけません。なぜなら、考えるのを止めてしまったら、また同じ過ちを繰り返してしまうと思うからです。
「考えたって何になる?」
という人もいるでしょう。でも多くの人が言っているように、考えることを止めたとき、ことはあらぬ方向に進み出してしまいます。たとえ解決策がなくても、打開案が思いつかなくても、歴史の中に答えを見いだすことができなくても、考えている間は断定的な行動をすることはないはずです。
考えなくなれば、これだと思うことに終始し、別の見方も他者の見解もくみ取ることができなくなってしまいます。
「考えているばかりでは何もできない」
という人もいるでしょう。実行力が大事だという人もいます。災害などの緊急事態のときには考えていると遅くなる…。それは緊急事態が起きてから考えるからいけないのです。起きる前から、みんなで考え続けることで、不測の事態にも対応できるはずです。
80年前に起きたことは、確かに難しい問題で、私では何一つ答えを見つけることはできません。
それでも、考えなければなりません。
歴史家の磯田道史は、
「その事実を自分という一人の人間として許せるか許せないかを考えなければならない」
と仰っていました。
大きなくくりで考えることも大事ですが、起きた事実を自分という人間を通して考え判断することが大事なのだと思います。
これから先の人々が考えるのを止めてしまわないようにするためには、まずは今を生きる私たちが考えることを続けていかなければなりません。
単純明快な思想や扇動的で安易な答えに飛びつくのではなく、私も常に考え続けていきたいと思います。
戦没者諸精霊へ謹んで御回向を申し上げます


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