譬喩
何か物事を説明するときにたとえ話をすると伝わりやすいことがあります。
でもそのたとえ話が上手でないと相手を逆に混乱させてしまうこともあります。
たとえ話が上手な人の話を聞くと、とても分かりやすいのでいつもうらやましく思いますが、
自分ではなかなかできません。
法華経は譬喩の教えともいわれますが、特に前半迹門では多く譬喩が説かれます。
あまりにも譬喩が多いですから、一読すると大した教えではないと思う人が昔から結構いたそうです。
(私にはどんな教えも難しく感じますが…)
しかし、譬喩の意味を悟ると法華経の深遠な教えに気づき、法華経がいかに偉大かであるかを
身にしみて思うといいます。
譬喩は、上手に譬えることと、またその譬喩の真意を上手に受け止める、
この両方が大切だと思います。
仏様の譬喩が上手か下手かを論じるのはあまりにも愚かですから、
受け止める側が譬喩の真意を探る努力は欠かせません。
その姿勢にたって譬喩を拝すると、どんどんと気付くことが見えてきます。
現代は短い言葉で簡潔に伝えることが優先されます。
それゆえ、一見伝わりにくく、学びの必要なたとえ話はあまり必要とされないのかもしれません。
しかし、もう少し意味を考え、長い時間思いを巡らすようなコミュニケーションもあってよいのではないかと思います。



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