雑記

信仰の中で行っていることは、日頃に繰り返し繰り返しするものですから、それほど大事なものではないであろうと、意外に省略しがちです。

しかし、みんなで話し合ってみたりして、その化儀作法が如何に重要かを考え直すと、簡単なようなことでも、端折ったり、自分勝手に変えてはいけないのだなということに気付きます。

御本尊を拝するということも同じことで、毎日拝していると、いつの間にかその環境に慣れてしまって、適当に拝するということが出てくるようです。

また、お題目を唱えることが大事なら、お題目さえ唱えていればよいという考えで御本尊が疎かになることがあるようです。

その結果、いつの間にか何を拝んでもいいじゃないかと、祈りの方向があっちに行ったりこっちに行ったりしてしまいます。

そうすると、祈る事自体が乱れしまって、良くないことを祈ってしまう、願ってしまうということがでてきます。

お題目を御本尊に向って唱えるという行為自体が重要な意義を持つのですから、決して省略して良いものではないのです。

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