説法に感動は必要なのか
最近、何につけても感動が求められるようになったと感じます。
説法にも感動する話が求められるようで、何か涙を流すような話が好まれるということを聞きました。
確かに演出の一環として感動を入れ込むということがあるとは思いますが、それが説法に必要だろうかとも思います。
感動させることを目的にした話などを見たり聞いたりすると妙に冷めてしまうようなこともあります。
仏教は物事の真実の姿を求めるものですから、時には厳しく、ある意味虚しさを感じる場合もあります。
ただ、お話ししていると、こちらが意図せずとも
感動しました
という言葉をいただくことがあります。
それは熱量とかの類いによるものかもしれません。
感動させることが目的の説法よりも、結果的に感動できた説法でありたいなと思います。

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