法華経の信心をとをし給へ。火をき(鑚)るにやすみぬれば火をえず。
四条金吾殿御返事
【訳】どうか、法華経の信心を貫徹なされよ。火を得ようとしても、途中で休んでしまっては火は付かない。(御書統合システムより)
大聖人様が四条さんを励まされているように、互いに励まし合って精進していきましょう。
先日、アップしたお言葉、
昨日は人の上、今日は我が身の上なり
を見た人が、なるほど人の不幸を笑ってはいけないと仰っていたのですが、このお言葉は物事が巡るという意味でないかと考えています。
幸も不幸も巡るもの。
良いことも悪いことも巡ってくる。
この流れに逆らおうとしたり、この流れを弁えないと、人間苦労するぞと教えて下さっていると感じます。
玉ねぎを二、三日前に収穫しました。

今年は5月も定期的に雨が降っていたので、なかなか収穫する時期が定まらず、結局この時期になりました。
冬の寒さや天候不順もあったので、無事収穫できてホッとしています。
長嶋茂雄氏が亡くなられました。
昭和のヒーローと言われますが、選手を引退されてからも、監督時代、リポーターなど様々な場面で活躍され、人々を勇気づけてくれた人だと思います。
もうこのような人は出てこない。
と良く言われます。それは時代性もあるかと思いますが、それ以上に長嶋茂雄氏自体が、自分の役割を背負って生き抜いた人だからだと思います。
本当に真似をすることができない生き方だと思います。
晩年は闘病の日々でしたが、同じ病気をしている人、同じく困難な状況にある人を大きく励ましてくれました。
寂しいですが、多くの人々から感謝の心で送ってくれると思います。
心より哀悼の意を表します。
本当にお疲れ様でした。
本日は御経日を奉修しました。
御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。
御参詣誠に有難う御座いました。
法話では「四条金吾釈迦仏供養事」についてお話しました。
大聖人様の御教導は実にていねいで細やかです。
釈迦仏を開眼した四条さんに対して、頭ごなしに正すのではなく、諄諄と悟すことで、弘安年間の曼陀羅授与へと導いていかれました。
私たちも、一時的な理解を強制するのではなく、長い目で見た教導が大事だと痛感いたします。
ある法事で墓前経のときに、その家の若い青年が、お墓の前で長く手を合わせていたことがありました。
その青年の祖母が亡くなったとき、彼はまだ幼くて、たくさん涙を流していました。
悲しいの?
と聞くと、深くうんと頷くその姿をよく覚えています。
それから時間が経って、涙を流さず、お墓の前に立つ彼は、どんなことを思いながら手を合わせていたのでしょうか。
どんなことを思ってたの?
と聞くのが野暮に感じるほど、彼はすっかり成長してくれていました。
おばあちゃんもきっと喜んでくれていると思います。
下記の本の冒頭に経典に関して、簡略にまとめてくれています。
https://www.maruzen-publishing.co.jp/book/b10123312.html
この中で、パーリ語で書かれた経典と、その漢訳のどちらが古いかと言うことに関し、精査の結果、漢訳の方が古い可能性があるとの見解が示されています。
なるほど、aがbに訳されたのではなく、aがbに訳され、a自体がcに変化していったということのようです。
bが漢訳。
cが現在に伝わるパーリ語。
面白いですね。
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