本日は御逮夜法要を奉修しました。
まだ少し肌寒さが残る中ですが、謹んで日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げました。
此の度の法話では南条殿御返事を取り上げます。
大橋太郎の逸話が示される建治2年閏3月24日の御書です。
親子のつながりの深さを法華経の功徳、まだ若い南条殿へ丁寧に説明される大聖人様の御慈悲がとても有難く感じるお手紙です。
大橋太郎の逸話は臨場感のある内容ですので、是非御拝読頂きたい御書です。
最近は何をするにも書類に署名をして…というのが多くなってきました。
それだけいろいろなことへの配慮が行き渡るようになったという証なのですが、それにしても多い。
あまりに多すぎるので、概要を説明したら細かなところは互いに確認も取れないくらい。
ここまでくると何となく儀式のような…、と思って改めて考えてみると、これは儀式の一種とも言えると思います。
昔は起請文などもあって、こういうものが効力をもって互いを結びつけていたわけで、その起請文は非常に儀式的な物です。
今の書類の契約、書名、捺印…の一連の行動も、とても儀式的だなと思ってみていると、不思議と煩わしさも消えてくるような…?
本日は御書素読を行いました。
四信五品抄をゆっくり声に出して拝読しています。
素読は、そのままに拝読するだけですが、少しずつ解説を加えながら拝読をするようにしています。
大聖人様の御書の中で「正しく」を「ただしく」と読むべきか、「まさしく」と読むべきか、じっくり考えることが大事であるというお話しをしました。
微妙なニュアンスの違いになるだけのようですが、読み一つにしても丁寧に拝読していくことで、また新たなことにも気付くことができます。
一文字一文字を大事に拝読しいきたいと思います。
解釈の違いがあることは、混乱を与えることにもなりますが、解釈の違いを認識することで、自分の理解を深めることもできるのではないかと思います。
多くの解釈があることを全面的に肯定はできませんが、一つの解釈に凝り固まる怖さもあります。
信心している人が信心していない人と話をすることで、自分の信心をはじめて深めることができることも同じことかと思います。
問題はその違いをどのように乗り越えることができるかでしょうか。
そこには人間の品性が関わるように思います。
先輩僧侶とお話ししていて、教えてもらったのが、
今頑張っていることは、今の結果にはならないかもしれなけど、次の世代にちゃんと残る。だから頑張ろう。
ということでした。
確かにそうです。
前世代の方が頑張ってくれたものが今残って私たちを支えてくれています。
今の結果に見えなくても、次の世代のために頑張る。大事なことだと思います。
蓮の土を作りました。
今回は赤玉土の小さいものと腐葉土を7:3の割り合いで混ぜ込んだものを作りました。

土が少し落ち着いたら、蓮根を植えることにします。

昨年までは、前年の土をそのまま使っていたのですが、今回はいったん新しくすることにしました。
土は、半年前くらいから作って準備する人もいらっしゃるそうです。
うまくいけば六月後半くらいから、花を楽しめます。
今日、保育士さんから聞いた話ですが、最近の子ども達は言語の発達が少し遅いそうです。
これが原因とははっきり言えないものの、身の回りにある様々な端末などを幼い頃から利用することによる影響もあるそうです。
自分の気持ちや考えを言語化することは人間生活をする上で欠かせないことなので、言語の発達が遅れることは問題も多くなるのではないかと思います。
これもあるところで聞いたことですが、昔、親子でよく行っていた手遊び、歌遊びなどを現代の親御さんはあまりしないそうです。
言語の発達は、言語を覚えて話すと言うことより、人間との触れ合いによって自然と生み出されるものではないでしょうか。
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