昨日、三毒についての動画をアップしました。
早速にコメントなどでご意見をいただきました。本当にありがとうございます。
自分の中の三毒に気付くことができること。
またその三毒を素直に受け止めることができること。
だれでも出来ることではないと思います。
みんな、自分の三毒を認めたくないし、できるなら三毒なんてなければよいと思うのではないでしょうか。
ですから、貪・瞋・痴があるよと説かれたときに、自分の内面に貪・瞋・痴を見ることができるというのは、それだけで三毒を乗り越える第一歩になると思います。
信心から得る醍醐味の一つに考え方を学べるということがあるかと思います。
自分の身の周りで起きたこと、起きそうなこと、また社会の中で起きたこと、起きそうなことなど、様々な事象はもちろん、自分自身の心のあり方に対して、どのように考えるか、どのように捉えていくかということを学ぶことができるのは、信心をしていて何よりのことだと思います。
対話をしていて、苦しいときにどうやって乗り越えたか、そのときどう考え方を聞くことができたときには、自分の苦しみも一つ乗り越えた気分になるくらいです。
人生において、考え方とうにはある意味生き方に直結するようなものでもありますから、健全な考え方を学んでいくことは、実に重要なことと思います。
ただ、いろいろな考え方を学んでいくのは良いですが、だからといってあれやこれやと学んでいくだけで、軸になるものがなければ、それは場当たり的なものとなり、自己矛盾を抱えることになってしまいます。
そういうことでも良いという人もいらっしゃいますが、やはり考え方には一つの軸となるものが必要だと思います。
私たちはお題目という軸になる教えがあるので、お題目を中心に考えることができるというのは、非常に有難いことだなと思います。
三毒について動画を作成していますが、ではその三毒とどのように付き合っていくかは、宗派によって考え方が違うようです。
大聖人様は三毒が盛んな私たちでもお題目を受持していれば成仏できる(趣意)ですが、だからといって三毒が盛んなことを積極的に肯定されているわけではありません。
三毒をほったらかしにするのではなくて、上手に付き合っていくことが大事だと思います。
三毒は根の深い煩悩なので、自分の中の三毒とつきあていくのは本当に難しいと常々思います。
本日は、御経日を奉修しました。
とても気持ちの良い天候の中、6月度の追善回向を申し上げることができました。
皆様には深信の御参詣を賜り、本当にありがとうございました。
本日は、大学三郎殿御書についてお話しをしました。
大学三郎は一説には比企能本であるとされます。
幕府の権力争いに巻き込まれる中、大聖人様に縁をしました。
大変な能筆とされ、幕府中枢に近いところにありながら、題目の信仰に励まれていました。
本抄はとても難解な御書になりますが、後半部分では戒律について示されています。
仏教ではたくさんの戒律があるけれども、末法のときにあっては、持戒は法華経受持であることが示されます。
本来、戒は、守っているからといって自慢をするようなものでもありません。
また、時にあわない戒律はこれも意味をなしません。
たとえるなら、現代にあって江戸時代の法律を守っていると喧伝するようなものです。
今私たちが、日々の生活の中で、守ることができる戒を大聖人様はお示しになってくれたのですから、私たちは言い訳せずに、この戒を持っていかなければなりません。
お陰様という言葉は本当に良い言葉だと思います。
今日、寺報などをある家庭にお持ちしたら、その家の若い御信徒が、何気ない会話の中で、
大聖人様のお陰です
と仰いました。とってもよく頑張る方で、自分が頑張ったからと思っても不思議でもないし、何の悪いこともないと思います。
でもお陰様と言える心が素晴らしいと思いました。
お寺に来られた業者さんが心遣いをしてくれて、申し訳ないということを伝えると、
お寺さんのお陰様です
と言ってくれることもあります。物品の取引を超えた心のやり取りがあると感じます。
三毒について以前からご質問があり、現在動画を作成するための準備をしています。
三毒は私たちの内面に抱える三つの象徴的な愚を示しています。
貪・瞋・痴の言葉の意味を説明するのは簡単ですが、自分の三毒に向かい合うという意味ではとても難しいものだと実感します。
たとえば瞋りに関して、減劫御書では瞋恚を慈悲観で治すと示されていますが、その前段には三毒強盛な我等は慈悲観のような行でかえって三毒をさらに強めてしまうとも御教示です。
安易に三毒を除くなどということは言えないわけで、いずれにしても、まずはしっかりと自身の三毒に向かい合うことが大事なのではないでしょうか。
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