お寺というのは有難いところだなと思うことの一つに、その人の人生と長くお付き合いできることです。
生まれたばかりのお子さんが、成長し、結婚し、子どもができ、歳を重ねていく。
そういう姿に長く触れることができます。
ときには、
「彼女ができました!」
といって、彼女を連れてくる子もいたりします。
「ちゃんと親には紹介しなさいよ」
なんて、偉そうな言葉をかけたりします。
成長して、子どもができて、初参り御授戒となると、なんだか自分に孫ができたような、大変勝手な思い込みですが、本当に幸せな気持ちになります。
今日も参詣された方の中に、本当に小さい頃から知っているお子さんが、立派に成人となり、その姿にしみじみと時の流れを感じました。
お寺で御奉公をさせていただいていて、本当に有難いことだなと思うことの一つです。

皆様とお話をしているとこれからの世代を心配する声が多く聞かれます。
「私たちのときはよかったけど、これからの人のことを考えると..」
そういう声が多くなっている気がします。
そして、そう仰るお顔が、どんどん暗くなってきているように思います。
「若い人は夢を見ることが出来るのでしょうか?」
とてもつらい質問です。
その時ふと思いました。
鎌倉時代の人は自分の将来にどんな夢を見ていてこのでしょうか。

和室で使っているテーブルがぐらぐらしていたので、別のところで使用していたテーブルを移動してきました。
移動する途中で気付いたのですが、テーブルを支える部分が少し割れていました。

ということで、ネジを打ち込んで補修をしました。
補修といってもネジを一本打ち込んだだけです(笑)大げさでした。

今年は暖かい冬ですので、もう雑草が生え始めています。
そうすると草刈りをしなければいけないのですが、先日御信徒から草刈り用のナイロンコードを勧めて頂きました。
下記のナイロンコードになります。
http://www.sugihara-boueki.com/detail.php?cd=20
使ってみまして、とても良いです!
雑草の様子によっては、チップソーの方が良いと思いますが、切れ味も良く、扱いやすいです。
草刈りが楽しみになるくらいです。

今日偶然同じようなことに関する会話がありました。
文章が持つ響きに関してです。
よい文章には、その文章が持つ意味はもちろん、その言葉と言葉が重なることで生じる響きも良いのでないかと話し合いました。
その後、宮沢賢治さんの物語は難解だけど、意味をあまり考えず、その文章の響きをそのままに楽しむのも良いね、とまた別の方と話し合いました。
とてもなるほどと思った対話でした。

法華経のはなし第11回で須菩提を取り上げていますが、コメントで須菩提の怒りについて質問を頂きました。
須菩提は短気だったのか、義憤にかられるタイプだったのか?という質問です。
下記のように答えましたので、こちらにも載せます。
コメントありがとうございます!
御覧頂きうれしいです。
須菩提の性質に関する質問ですね。
望月の仏教大辞典には、次のようにあります。
「須菩提は舎衛国のバラモンの子。とても端正な顔をしていたので須菩提と名付けられた。智慧は聡明にして及ぶものはいなかった。ただ、最初は性質が悪く、眼につくものことごとく罵倒し、ついには両親親族からも見捨てられてしまった。(意訳)」
これを読む限り、正義感などではなく、どちらかと言えば怒りをコントロールできないタイプの人であったようです。
その他の記述を見ても、端から順に怒りまくるタイプのようでして、義憤にかられるような感じではありませんでした。
それゆえ偏屈であっというような評価がされていますし、親族にも一度は見捨てられるような状況になったのだと思います。
この動画では、須菩提を解空第一としていますが、もう一つ無諍第一とも呼ばれていたようです。
須菩提は仏教の修行の中で自分の怒りを乗り越え、争うことの無い境地を得たようです。
以前、自坊の法話の中で、貪・瞋・痴の三毒の瞋りについて話したことがあります。
「瞋りは、自分の弱い部分に連動して起こるものです。
瞋りをコントロールしようとするにはまずは自分の弱い部分を自分自身で認めてあげることが大事です。」
…というような話をしました。
その時聴聞してくれた方から、
「自分は瞬間湯沸かし器など昔から言われていました。
それは結局自分の弱い部分を認めようとしなかったからだと思います。
今一度自分自身を見つめ直してみたいと思います。」
と声をかけていただきました。
また須菩提の怒りに関して、何か資料を見つけることができたら、ご紹介したいと思います。
長文失礼をいたしました。
YouTubeのコメントでもご意見頂きましたが、仏教の経典を読んでいると読みについていろいろと迷うことが多いと思います。
呉音や漢音などの違いはありますが、例外もかなり多くなってきて、またご宗派によっても読み方を変えているなんてこともあります。
たとえば、
和尚
は
わじょう
かしょう
おしょう
などと読み方が違います。
ちなみに当宗では僧侶のことを和尚と呼ぶことはあまりありません。
ただ経典などの場合には読みに厳密になりすぎると、拝読していくのに迷うことも多くなりますから、私はあまり気にしすぎない方が良いと思っています。
読み続けている内に、あぁこう読むんだなと気付くこともあり、その時点で訂正していけば良いと思います。
あとは結構、耳学問のところがありますから、やっぱり御説法を拝聴して頂くことは大事です。
本日は、2月度の御報恩御講並びに御誕生会を奉修しました。
御参詣の皆様と謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。
御参詣をいただき誠に有難う御座いました。
本目は、寒行(御経の練習)も行いました。
今回は御経文を細かく区切り繰り返しをしてもらう形で練習をしました。
皆様、とても上手に丁寧に拝読してくれました。
読経は、実は、初心者ほど上手であったりします。
なぜなら、上手になってくると自分流の読み方やくせが出やすいからです。
是非とも丁寧な読経を信心歴が長い人ほど心掛けて欲しいと思います。

今日、観たテレビ番組「ゲームゲノム」で紹介されていた素晴しい言葉です。
私たちは、「群れの動物」であり、近くにいてくれる人が必要です。もちろん1人でも生きられます。しかし、1人で生きるべきではありません。「1人がいい」と言っている人もです。もしコミュニケーションが必要なら人間はその力を持っていないはずです。誰かと一緒にいることは人の根本であり本質だと思います。
Josef Fares
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