弥六郎と弥次郎

備忘録的に書きます。

熱原法難の農民たち。斬首された三人の名前は、

神四郎

弥五郎

と、

弥六郎か弥次郎

の二つの見解があります。

なぜ二つの見解があるかというと、「弟子分本尊目録」の正本に欠損があるためです。

いくかの資料の記述を見ると、

        (郷住人)
一、富士下方熱原□□□□□郎。 『歴代法主全書』

一、富士下方熱原郷住人彌次郎、 『日蓮宗宗学全書』

一、富士下方熱原郷住人彌次郎。『日興上人全集』

とあります。

弥次郎との表記が見られるのは、北山本門寺の日優師の写本が残っているからです。

日優師の写本には誤記は見られるものの、他の写本に比べても正確さが担保されているので、諸本において「弥次郎」と表記されています。(「「日興上人全集」正篇編纂補遺」大黒喜道 興風11号)

多くのは弥次郎と表記されているのですが、弥六郎との見解は、堀日亨上人のもので、「そもそもこの三人は兄弟であるとの説があるため、もし兄弟であるならば、「弥六郎か弥七郎」と表記されるはずであり、後の研究につながるように「弥六郎」とした」とされています。(「熱原法難史」堀慈琳)

 

 

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