本の紹介が続きます。
日本近世史入門ようこそ研究の世界へ!上野大輔・清水光明・三ツ松誠・吉村雅美 編
図書館で手に取ったのですが、日本近世史に関してわりと若い学者さんたちが論述してくれています。
言及がわりと新鮮な感じがあって、楽しく読めます。
また入門書と言うこともあって、論文の書き方や役に立つ資料の紹介など、学術書っぽくない感じもあって、興味のある方は気軽に読めるのではないかと思います。
よろしければ手に取ってみてください。
本の紹介です。
生き物の死にざま 著稲垣 栄洋
有名な書籍のようですが、今回はじめて読みました。
生き物の死んでいく様は、ただ可哀想だけは言い切れいないものがあることを以前か思っていました。
この本では、そういった言い切れない部分をある意味情感たっぷりに語ってくれています。
こういう見方もあるのかなと思えるものがありますので、よろしければ手に取ってみて下さい。
勤行をできるできないは、忙しいか忙しくないかに関わらない…
ということを御信徒に皆様とお話ししているとよく思います。
たしかに現実的な時間がなければ勤行は出来ないのですが、では時間があるからするのかといえば、そうではないようで、時間がなくて、忙しくて大変だろうと思う方でも、時間を作っては勤行をされています。
数名の御信徒と話しているときに、ある方が、
「誰かに見てもらっていないと勤行できないわー」
といいました。すると別の方が、
「御本尊様見とるよ」
と仰いました。
聞いていた全員がハッとしていました。
鳥の話題ばかりで申し訳ないのですが、お隣の田んぼに居着いたケリが、最近草抜きをしているとけたたましい鳴き声をあげながら、頭上を飛び回るようになりました。
なんでだろうかと思っていたのですが、調べると、どうもケリは田んぼに巣を作るようです。
https://www.city.koga.fukuoka.jp/blog/item/1260
もう巣を作っているのか、これから作るのかは分かりませんが、近づくと警戒して鳴いているようなのです。
水を張ったらどうなるのかなと思うのですが、リンクを見ていただくと分かるのですが、水面に上手に巣を作るようです。
ということは当分そちらにいらっしゃるようです。
ケリは地域によっては絶滅危惧種にも指定されているようで、今となっては住む環境が無く、貴重な鳥のようです。
本日は誓願題目講を奉修しました。
大聖人様は、
私たちは穢土に住んでいるけれども、心は浄土にある
と仰せです。
では、どのようなときに浄土を観じることができるのかといえば、お題目を唱えているときがその一つです。
雑念がわく中でも、お題目を唱えていると、心が定まるときがあり、そういうとき大変に有難い気持ちになります。
その有り難さに少なからず浄土を観じることができるのではないかと思います。
暑さに負けずに唱題行に励んでいきたいと思います。
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誓願題目講に先立ち、布ゾウリ作りも行いました。
みんなで和気藹々と楽しく作業ができました。
来月も行う予定です。
鳥の巣箱ですが、

全然入ってくる様子はありません…。
詳しい方にお聞きすると、
一年目で入ってくることはまずないよ。いろいろ場所を変えたり工夫してみてね。
ということでした。
その代わり、以前にも紹介したケリが近くにきて、「ケリケリ」と大きな声で鳴いています。
最近分かったのですが、人が近づくと警戒して鳴いているようです。
境内の草取りを始めると、「ケリケリ」と怒り出すので、まいっています。。
言葉の紹介ばかりになってしまっていますが、
曲学阿世
きょくがくあせい
についてです。あまり耳にすることのない言葉かと思いますが、意味は、
道理に背くような学問をもちいて、政治権力や世間に媚びへつらい、人々に気に入られるような言動をすること
をいいます。
もともと史記に出てくる言葉のようで
学を曲げて世に阿ることなかれ
というような読み下しです。
阿る
は
おもねる
と読みます。
自分の都合の良いような学説を探してきたり、学説自体を自分の都合に合わせて読み換えて、世間の耳に聞えのよい言動をする。
誠に核心を突いた指摘であると思います。
トマトの成長具合ですが、このような感じです。

やっぱりあまり大きくなってはいません。
そもそも木自体の生育が余り良くないのですが、ご近所さんが
今年は日照不足でとにかく生育が悪い
と仰っていました。
世間でも野菜の値段が高くなっているようですが、農家の方々も本当に大変だと思います。
古い本を読んでいてあまり聞き慣れない言葉が出てきたので備忘録として。
提撕
だいせい、ていせい、ていぜい
などと読みます。
辞書には師匠が弟子を奮起させて導くこと。また禅宗などでは、師匠が語録や公案などを講義して導くこと。
また後進を教え導くこと。
奮い起こすこと。盛んにすること。
などの意味があるようです。
この撕に戒めるや教え導くという意味があるそうです。
でも、引き裂くという意味もあるらしく、熟語の成り立ちは面白いものです。
今日御参詣の方と対話している中で次のようなことが話題にあがりました。
ある方が、膝のリハビリのためにマッサージを受けていたそうです。
スタッフが丁寧にマッサージしてくれて、いろいろとトレーニングのアドバイスもしてくれたそうです。
その丁寧さに申し訳なく思ったそうです。
そのことを近しい人に話をしたら、
それでお金をもらっているのだからいいのよ
と言われたそうです。
確かに、スタッフはそれで給料をもらっていることに違いはありません。
でも親切にしてくれたことに対して、申し訳なさを感じるというのは、とても大事なことではないか。
そういう対話でした。
何だか世知辛いような、ギスギスしているようなものが多く感じるのは、このような事柄にも見て取れるように思います。
お金をもらっているのだから、当たり前…ではない「何か」が人間関係を円滑にしていくのではないかと思うのです。
その「何か」が、日本人でいうところの、申し訳なさ、勿体ない、有難いというような感覚ではないでしょうか。
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