今年は秋が深まるのが早いので紅葉を楽しみにしていますが、あまり様子はよくなさそうです。
やはり夏の暑さの影響で、すでに葉っぱが枯れて落葉してしまい、紅葉するどころではないようなのです。
適度な暑さと、夏に適度な雨があってこその秋の紅葉のようです。
本当に夏から冬という感じの天候が毎年のようになってきたので、美しい紅葉もなかなか味わえなくなってしまうのでしょうか。。
本にしろインターネットにしろ、SNSにしろ、とにかく
「簡単にいうと…」
というのが溢れていると感じます。
簡単に言えば分かりやすいのですが、とはいえ、それはただ分かりやすいだけで、その物事の大事なところは結局語れていないことがほとんどです。
それでもいいから簡単に言ってくれという風潮があるのもよくわかります。
情報過多の時代、一つの情報に時間をかけることができない。
でも、やはり物事の本質をとらえようと思うなら、難しいことをじっくり聞いて、考える必要があると思います。
つまり、
言う方は簡単に言いたいことを避けて、しっかり調べて、じっくり語る。
聞く方は簡単に聞けることで分かったつもりにならないで、じっくり聞いて、しっかり考える。
ということをお互いに意識していないと、薄っぺらい理解ばかりが増えていく…ではないかと、結局自省するのです。

たまねぎを植える下準備をしています。
今年は秋が深まるのが早いというか、もうすぐ冬になるんではないだろうかという気候なので、少し急いで準備をしています。
例年はもう少し遅く、しかも晩生を植えていたのですが、晩生は収穫時期が梅雨にかかってしまうこと、猛暑の影響で保存が難しいので、今年から早生のたまねぎを受けることにしました。
そういえば最近耕さない農法があるということを御信徒から教えてもらいました。
耕すのが当たり前だと思っていましたが、当たり前を疑うことで、新たな手法が見えてくることがあるようです。
文字を繰り返すときに同じ言葉をそのまま書くのではなくて、記号のようなもので表記する、その記号のようなものを踊り字といいます。
たとえば、
散々
の
々
は漢字ではなくて、繰り返し記号です。
…という知識は、踊り字のWikipediaの記事から参照しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%97
調べたかったのは、平仮名の繰り返しの記号で、二文字を繰り返すとき、
たとえば、
さんざん
を
さん〴〵
のようになりますが、この
〴〵
の横書きの場合の、正式な表記はあるのかなと思ったからです。
そもそも、横書きではこの繰り返しの記号は使われることはなく、横書きかつ画面上や印刷上の表記という特殊な場合に使うことになりますので、縦書きに準じた表記ということになるようです。
おべっかは相手のご機嫌を取ろうとして、へつらったり、本心でないお世辞を言ったりすることで、文章の中で使ってみたのですが、そういえば日常で
おべっかを使う
とか
おべっかを言う
ってあまり使わなくなったように思います。
以前は使っていたのかといえばそうでもないんですが、あまり聞かなくなったなと感じます。
おべっかの語源は、言い方、口の利き方が上手な「弁口」(べんこう)に「お」がついたものが変化したらしいです。
おべんこうがおべっか。
ちょっと遠い気がします(笑)
以前使っていた芝刈り機がガタガタいうようになっていたので、手入れをしました。

フタを外すと、

こんな風になっているので、掃除をしてからタイヤを外し
油を指して

歯車の掃除をして、とりあえず動くようになりました。
良かったです。手入れをしてあげなくてごめんなさい…という気持ちになりました。
葬儀を捉えるかということは、宗派によっても違いますし、そのお寺さんによっても違います。
臨終する人、その臨終を送る人、それぞれに捉え方も違います。
ですから、これが葬儀である、こうでなければならない、と断定的に言うことは、思っている以上に難しい事だと感じています。
葬儀をしないという人も出てきて、そういう人は、死後の世界などの関心は少ないのでしょうし、関心を持っているといっても既存の形式にはよりたくないという抵抗感もあるんだと思います。
ただ、葬儀は送る人のためにあるという考え方は、やっぱり納得できません。
送り人のメリットがあるから葬儀をするということであれば、結局葬儀という儀式は廃れていくように思います。
臨終を迎えた方の、その魂(魂魄というだけでなく、その方の思い、情念など広い意味での魂)のために手を合わせるという、見返りを求めない心があればこその葬儀では無いでしょうか。
「自信がない…」
そんな相談を受けることがあります。
自信がないというのは、裏を返せば不安があるということかもしれません。
最近では「自己肯定感」という言葉もよく聞かれます。
確かに、自信を持つことは大切なことです。
けれども、あまりに自信たっぷりでも、ちょっと困りものです。
無理に自信があるようにふるまうのも、かえって苦しくなってしまいます。
不安があるから自信を持ちたいと思う――それも少し違うように思います。
不安は、自信があれば消えるものではありません。
むしろ、不安なことにきちんと向き合うこと。
そして、不安に向き合う勇気を持つことが大切です。
それはつまり、自分を信じるということです。
不安に向き合うと「自分は駄目になってしまうかもしれない」と感じることがあります。
でも、不安に向き合うことが“駄目になる”ことではありません。
「大丈夫、自分はここにいる」――そう思えれば、それで十分です。
そして、その“自分を信じる勇気”を与えてくれるのが、信心なのだと思います。
自信がなくてもかまいません。
いろいろな経験を重ねるうちに、自然と自信はあとからついてくるものです。
この時期、そろそろ夏野菜も限界が近づいてきて、ナスやピーマンも収穫量が減ってきました。
でも、白ナスは大きなものが採れました。

最近よく見かけるようになった白ナスですが、煮ても焼いても美味しいです。
そろそろサツマイモも収穫の時期になってきて、だんだんと秋が深まってくるのを感じています。
最近、救急車を避けない車が多いという話を聞きます。
確かに同じことを感じています。
緊急車両に対して、もう少し協力的にならなければいけないのではないかと感じる場面が結構あります。
下記のリンクに緊急車両が近づいてきたときの対応が掲載してあります。
図などがあり、分かりやすかったのでこちらをリンクさせていただきました。
意外に忘れていることもあるので、再確認したいと思います。
最近のご意見