Monthly Archives: 4月 2022

御報恩御講

本日は御報恩御講を奉修致しました。
(御参詣の皆様には感染症対策へのご協力誠にありがとうございます)

謹んで仏祖三宝尊の御宝前へ宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。

法話のプリントは撰時抄の三回目です。

正法時代、像法時代、末法時代の仏教流布について、
大聖人様が非常に分かりやすく説いて下さっています。

仏教における時代区分には多少の幅があります。
とはいえ、500年、1000年の時代区分をしっかり受け止めつつ、
仏教が示す所の時代性について考えるところは、
現代の私たちに欠けている視点でもあるかと思います。

撰時抄を拝読していますと、
時代にたいして丁寧な視点をもつことの大切さを痛感いたします。

今日はとっても暑い一日でした。

皆様大事にお過ごしください。

御逮夜法要

本日は、御逮夜法要を奉修いたしました。
(御参詣の皆様には感染症対策へのご協力誠にありがとうございます。)

今日は驚くほど暖かく?暑く?なり、日もどんどん長くなってきました。

最近までは晩のお勤めには暗くなっていましたので、
季節が変わる早さに驚きをかんじます。

御逮夜法要は宗祖日蓮大聖人が御入滅されていくお姿をあらわした法要であるとされます。
お昼の御報恩御講とはまた違った有り難さを感じつつ奉修ができました。

NHKの番組で、永井陽右さんのことが放送されていました。

2017年には、日本ソマリア青年機構を「NPO法人アクセプト・インターナショナル」として法人化した。現在ではソマリアだけでなく世界各国で、テロリストと交渉しテロ組織からの脱退を促し社会に更生させる活動を行っている[5]。(wikipedia)

大変お若いのに、危険を恐れない活躍に感服しました。

私個人が何ができるというわけでもないですが、
こういった方にもっとスポットライトがあたる世の中であって欲しいと思います。

いのちのこと

この時期になると草花がいっせいに伸び上がってきます。
花々の姿に元気をもらえるのですが、雑草たちの元気さには勝てません。

抜いている側から生えてくるのではないかと思うほど、雑草たちの生きる力には、
神秘なるものを感じるほどです。

もうずいぶん前のことですが、草引きをしていると近所の子どもに声をかけられたことがあります。

「草抜きしてるの?」

「はい、そうです。」

「なんで?」

「草を抜かないとどんどん生えてくるからね」

「でも、草だって生きているのに、抜いたら可愛そう。」

「…、ほんとうですね。可愛そうですね。」

「うん。」

その後、私たちはたくさんの命の上に生きているということを少しお話ししました。
その子に伝わったかどうかはわかりませんが、自分の中には今でも重く残っている出来事です。

たしかに草花にも命はあります。
でも時にその草花を摘むことも必要です。
それは生きていく上でどうしても行わなければなりません。

食べることも同じです。
多くの命を頂いています。
植物は声を発しないから、無駄に奪って良いわけではありません。

どんなに理屈や理由をつけても、私たちは生きる上で多くの命に支えられている事実は変わりません。

だからこそ、感謝をしなければいけないし、
無駄に奪ってはいけないのです。


雑記

朝のお勤めの時には、五座の勤行をいたしますが、
初座は東を向いて御経を唱えます。

初座は諸天善神へ法味を捧げるという意義がありますが、
実際に東天を拝して御経を唱えると、
季節によってはタイミング良く白んできて日が昇ります。

それは、まるで日天があらわれるのを感じるようです。

宗祖も、天拝をされたいたと伝わりますが、
日が昇るのに合わせてお題目を唱えられたのでしょう。

その感動を毎日のおつとめの中で味わえるのは本当に有り難いことだと思います。

雑記

諸法実相と十如是に関して、いろいろとご意見をいただいております。

どのご意見も大変に勉強になるものです。

もちろんこちらの理解(認識)とはまったく異なるご意見もありますが、
それも様々な見方に触れるということで大事なことだと感じています。

自分のものの見方ばかりにこだわると、周りが見えてきません。

ふとした瞬間に自分では見えない見方に気付くと、今まで迷い込んでいたことが霧が晴れるように明らかになることもあります。

そういう意味でも、多くの見方に触れていくことは大切だと思っています。

それが時に自分にとって苦しくなる見方あってもです。

民主主義

民主主義に関して、こちらの本がとてもよくまとまっているので、
とても分かりやすいです。

今読み進めているところですが、本書で
「デモクラシーとは民主力」
とありました。

すごく胸にスッと入ってきて、納得出来た気分です。

民主主義と言われると政治体制と考えがちですが、
人々が主体的に世の中のことを考え行動することと捉えればよいのではないかと考えています。

では、どうやってその「民主力」を育てていくのか?
これが一番の課題であると感じます。

笑顔

マスクの生活が続いています。
そうすると表情がなかなかわかりません。
大人たちは良いのですが、子ども達にとってこれは良いことなのか、
大丈夫なのか心配になります。

とはいえ、マスクを外してというわけにはいかない現状があります。

そこで、子どもに出会ったときは、
マスクをしていますが、なるべく笑顔をするようにしています。
いや、子ども達の姿を見ると自然に笑顔になるともいえます。

でも、目だけしか見えないので、どんな風に見えているのかと改めて思うと…。

日本人は目で会話をするとはいいますが…、
目だけでも笑顔は伝わるでしょうか。

目は口ほどにものを言う。

子ども達が疎外感を思わないように大人は何ができるでしょうか。

雑記

丑三つ時について質問を受けたので、
少しここで整理しておきます。

昔は日本では時刻を十二支を使ってあらわしていました。

24時間を12で割るので、一支で二時間となります。

また、子の刻は、深夜0時を挟んで二時間となるので、
11時〜1時までとなります。

そうすると丑の刻は、
1時〜3時までの間。

さらに、一つの刻を四つにわけて数えていたので、
二時間を四等分すると一つ30分となります。

三つだと一時間半。

つまり丑三つ時は、
深夜1時から1時間30分となるので、
深夜2時30分頃となるようです。

頃というのは、昔は日の昇っている時間を半日として、
日の昇っている時間に合わせて時刻を調整したいたそうなのです。
日の昇っている時間しか実際の労働は困難ですから、
こういった時間配分だったのですね。

ですから、現代のような四季を通じて時刻がかわらないということはなっかたそうです。

ですから、丑三つ時もアバウトな時間となっていました。

よく丑三つ時は怪談と結びつけられますが、
その時間は一番夜が深くなり、また移り変わっていく時間でもあるので、
なにか神秘的なものをよせていたのだと思います。

当宗においては、丑寅の時間とはとても大事な時間です。

ということで、丑三つ時は午前2時30分ごろということです。

法華経のはなし35 方便品 諸法実相と十如是 【字幕】日・英・ポルトガル語

御経日

今日は御経日でした。
(ご参詣の皆様には感染症対策にご協力頂き本当にありがとうございます)

彼岸会に引き続き謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。

今日は寺泊御書のプリントを作成し、
少しだけ補足の話をさせていただきました。

寺泊御書は真筆(大聖人様の直筆のもの)が残っている御書です。

その御文字を拝しますと、これから佐渡に流される方が書いたとは到底思えないほど、
誠に静かに力強く、また読んだ者に安心を与えるものと感じました。

私のボキャブラリーの少なさですが、とにかくこの御文字を拝しますと、
「すごい」とうなるばかりです。

どれだけ芯が強ければ、どれだけ信が強盛であれば、
死地にむかう方がこれだけの文字を書けるのでしょうか。

あらためて、そのすごさに圧倒される気がいたしました。