午前中、nhkのらじるらじるで子ども科学電話相談室のアーカイブを聞いていました。
その中で、
「人間はなぜ矛盾するのか?」
という質問がありました。
答えられたのは、大日向雅美先生でした。
非常に明解なお答えですし、疑問をもった子どもによりそう回答でした。
っということで自分でも考えてみました。
なぜ矛盾するのか?
昨日言っていることと今日言っていることが違う。
今考えていたことが、言葉にすると違う言葉になる。
矛盾しなければいいのにと思うことが多々あります。
でも矛盾してしまいます。
なぜだろうか。
それはやっぱり人間は複雑だからでしょうか。
人間が複雑だから、人間が構成する社会も複雑です。
たとえば、A地点からB地点までの道のりがまっすぐだったとします。
なにもなければまっすぐその道を歩けばよい。
単純です。
でもA地点からB地点までの道のりがたくさんあったとする。
荷物をもっていかなければならない。
一緒に歩く人もいる。
それを見ている人もいる。
歩く時間も考えなければならない。
こうやって複雑になると、A地点からB地点の道のりも複雑になる。
複雑になるから、ぶつかることもあるし、忘れ物をすることもあるし、同じ道を通ることもないし、ときに引き換えることもある。
人間が矛盾するのも同じではないでしょうか。
人間の心は単純ではないから、どうしても矛盾してしまう。
しかも、心はいつでも変化する。
できれば矛盾をしないほうが良いけど、でも矛盾は人間とは切っても切り離せないですね。
矛盾しないように頑張りすぎると、身心の変化に対応できなくなってしまうこともあります。
自分の勝手な都合で矛盾を生み出すのはよくありませんが、変化の中で生じる矛盾は、実はもっともっと大事にするべきことなのではないかと思います。
まだ少し整理できていないのですが、ちょっと疑問に思うことがあって、それは、現代人の「感動する言葉を求めている」感の強さです。
テレビや書籍、マンガなどでも、感動する言葉の主張が結構強くて、何となく違和感を感じてしまいます。
実際にどれも感動するし、ハッと気付かされることが多いのですが、それにしても何だかどこもかしこも…と感じてしまいます。
実際の数字で調べてわけではありませんし、私の勘違いなのかもしれません。
とはいえ、以前から少し気になっているのです。
無論感動する言葉を求めることは悪いことではありません。
ありませんが、言葉探しをし出すと少し屁理屈のような感が強くなり、世の中を穿った物の捉え方しかできなくなるようにも感じます。
とはいえ、私の勘違いかもしれないので、もう少し調べた上でまた述べてみたいと思います。
昨日に引き続き、気になってジャガイモを調べて見ました。
ジャガイモもサツマイモと同じく原産は南米のようで、日本には、これも同じく1600年頃に輸入されたようです。
こうやってみると、江戸時代の初期に日本人の食生活の幅が広がったことがわかります。
この時期にそれだけ国との行き来が増えたことの証明でもあるでしょうか。
ジャガイモは連作障害があるので、育てるには一工夫が必要です。
ということで、育てたことはありません。
お寺の活動を報告するブログですが、野菜の話ばかりが続き、失礼をいたしました。
この時期はサツマイモの苗を植えます。
10月頃には収穫ができ、冬の食卓をたのしませてくれます。
何の気なしに調べて見るとサツマイモは、1600年ごろ日本に輸入されたようです。
以外に最近のものであることに驚きました。
原産は南米のようです。
サツマイモは痩せた土地でも育ちますし、連作障害もないので、非常に育てやすく農業初心者には助かります。
漢文を読んでいると、わりと見たことのない送り仮名がでてきます。
その都度いろいろ調べて読んできたのですが、
これをそもそも合略仮名というらしいです。
そして、wikipediaにページが出来ていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/合略仮名
ということで、漢文を読む際の参考にしていただければ幸いです。
本日は、月例の御報恩御講にあわせて、法華講総会を開催いたしました。
(御参詣の皆様には、感染症対策へのご協力誠にありがとうございました)

とても楽しい総会になり、みんな和気藹々と時間を過ごしてくれました。

ちょっとした賑やかしですが、法華経のはなしに使用した手書きのスライドを展示しました。
顔を合わせることはやっぱり素晴らしいことです。
本当に幸せに感じました。
皆様本当にありがとうございました。
明日公開の動画で信じることについて考えています。
法華経を語る上で信じるということ抜きにして話を進めることはできないので、
今回1回分を使って話してみました。
改めて考えてみると、信じるというのは現代人にとって非常に難しいことになっているのではないかと感じました。
日頃から信じるということを人生の中で中心にしている私たちにとっては、信じるということは抵抗感のあるものではありませんんが、一方で現代人にとって、あらためて「信じなさい」と言われると、中身うんぬんをぬきにして怪しげなものと感じてしまうと思います。
このような現状の中でどのように信じるということを伝えていけば良いのか…。
簡単なことではありません。
簡単なことではありませんが、信ずるということはやっぱり素晴らしいことだと思います。
だからこそ、真正面から信じるということについて話をしていきたいと思いました。
本日も御信徒が参詣され、掃除等の作業を行ってくれました。
少しお話しする時間もありましたが、
現代は人が集い合うのが難しい時代という話題で盛り上がり?ました。
確かに昔に比べ、実際に集まって何かするということに抵抗感を覚える人は増えたと思います。
この風潮はコロナ禍以前より始まっていましたから、コロナ禍が拍車をかけた感じでしょうか。
現代は、とても楽しいことが増えました。
それはとても良いことだと思います。
でも、人間同士のつながりあいで感じる喜びは何にも増して素晴らしいものであると思っています。
三車火宅の譬えで、火宅に閉ざされている人々が、燃えさかるのを気付かずに楽しんでいるのは、まるで現代人の様子をそのまま映しているように見えます。
もちろん人付き合いの中には怨憎会苦はあるのですが、それでも集い合うからこそわかり合えることもあると思います。
時代と逆行していると言われればそうですが、やっぱり私たちは集い合うことを大切にしていきたいと語り合いました。
最近のご意見