隣の田んぼが今日稲刈りでした。
幸せなことに、法眼寺はとなりが田んぼなので、稲の成長を見ることができます。
春、水が張られ、小さな苗が植えられ、水の中の虫や小魚をいろいろな鳥がついばみにきて、風が吹けばざわざわと爽やかな音を鳴らし、夏の大風にも負けず、秋には黄金色の穂を見せてくれます。
季節感をこんなに身近に感じることができるのは幸せなことだと思います。
実は、平地の田園風景というのは近代になってからといいます。
なぜなら、水田は水を入れることより排水することがとても大事だから。
ですから、稲は平地よりも段々畑に植えられていたといいます。
そういえば、農家の人が、稲は、冬の間の作業が大事と仰っていました。
農業は終わりがないのが素晴らしい点だと思います。
昨日、暦について書きましたが、新暦と旧暦の関係を調べるととても興味深いです。
今日は旧暦で言うと9月24日にあたるようです。
以前も書いたかもしれませんが、昔からの農家の方は、桜の咲く様子を見て、その年の田植えの時期などを決めると聞いたことがあります。
その桜の咲く時期は年によって結構違いますが、旧暦に照らし合わせると開花時期が予想出来るんだよという話も聞いたことがあります。
漁師さんは未だに旧暦を使うと言います。
とはいえ、なかなか今の生活で旧暦に合わせた生活をするのはとても難しいです。
でも少し旧暦を意識するだけで、自然と関係を見直すことができるかもしれません。
13日は当宗において大事な日付です。
特に10月11月は御会式の時期ですから、本当に有り難く思います。
弘安5年10月13日。
これを現在の暦に直すと、
1282年11月21日
になります。
グレゴリオ暦ですね。
グレゴリオ暦は、
グレゴリオ暦(グレゴリオれき、羅: Calendarium Gregorianum、伊: Calendario gregoriano、英: Gregorian calendar)は、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日(グレゴリオ暦)[注釈 1]から行用されている暦法である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/グレゴリオ暦
日本では、1872年から採用されています。
以前に暦に詳しい方に説明をいただいたのですが、とても難しくて(私の頭が悪くて…)ちんぷんかんぷんでした。
もしからしたらいつかこの暦も改変されるときが来るのかもしれません。
いずれにしても、大聖人様の御入滅の時期は、初冬に入る寒さ厳しくなる時期でした。
今日は久しぶりの雨になりました。
雨にはいろいろな名前があります。
秋の雨と言えば、秋雨ですね。
この秋雨は、9月頃から10月頃まで降る雨の事です。
秋霖ともいったりするようですね。
それから、秋出水(あきでみず)というのがあって、これは盆明けから川を氾濫させるほど降る雨の事。
これから秋が深まっていくと秋湿りや冷雨となり冬が到来するようです。
雨を楽しむのも一興ですね。
今日は夏のように暑くなりました。
草抜きをしていると汗がどっとでてきます。
明日からは寒くなるらしいので体調管理に気をつけなければなりません。
ところで、雑草の中に、トゲがあって、引き抜こうとすると必ずと言っていいほど手にトゲが刺さるものがいます。
引き抜くのも大変なもので、名前も調べずにいたのですが、今日も刺さったので、調べてみました。
名前は、
ワルナスビ
というらしいです(笑)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ワルナスビ
本当に悪い奴です!といっては可愛そうですが、それにしても大変な草です。
そして、見つけたらできるだけ速やかに抜き去ってしまわないとものすごく繁殖してしまうそうです。
ということで、「ワルナスビめー!」といいながら引き抜くかはいざ知らず、来春からはなるべく早く抜いていきたいと思います。
皆さんも気をつけて下さい。
トゲが刺さると、本当に痛くて、落ち込みます…。
下記のニュースを見ました。
事件を聞いたとき、とても衝撃を受けたのを覚えています。
亡くなられてから2年あまりで、このような広場が作られたことは、現地の人の強い思いがそこにあったのであろうと感じます。
何かを行うとき、確かに犠牲はつきものですが、でもやっぱり犠牲なんてなくなればいいのにと思います。
次回の動画では十四誹謗を扱います。
動画を作成していて思うのですが、よくこんなに細かく人間の心理を分析できるなと。
一見似ている表現でもアプローチがちがったり、受け止め方が違ったりと、非常に良い細かく、しかし、確かな分析があります。
仏説の奥深さを感じます。
ちなみに誹謗は悪口や陰口を言うこと。
陰口も含まれます。
バレないと思っていても、仏様は見ていらっしゃるということです。
一汁一菜に取り組んでいますという声をいろいろなところで聞くようになりました。
飽食の時代に、一汁一菜が再注目されるのは、注目されること自体に意味があると感じます。
すごく大事だなと思うのは、一汁一菜は別に粗末な食事のことを言っているわけではないということです。
一汁一菜は豊かな食事であると捉えることがとても良い受け止め方だと感じます。
飽食の時代に真の豊食を!
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