9月の末にビオラの種を蒔きました。
順調に芽が出て喜んでいたのですが…

何かいろいろな芽が生えています。
これはビオラの芽ではないのでは…

ということで、調べて見ると、中央に見えているのはホトケノザの芽のようです。

こちらの真ん中の芽はビオラのようです。
ということで、ビオラではないであろう芽は全部抜きました。
これで、抜いた芽がビオラの芽であったら…、一人で悲しみます。

いろいろとお話をお伺いしていると、人間に完璧なんてないのだと改めて思います。
特に子ども時代はいろいろと失敗をしながら、たくさんのことを覚えていきます。
我が子のことを信じたい気持ちはわかりますが、自分の子どもも失敗をするのだということを親が認めてあげなけれなば、実は子どもが一番可哀想な思いをするのではないかと思います。
今の世の中は、どうも完璧さを求める、特に子どもたちに理想の子ども像を求めすぎるところがあって、いつも言うことですが、子どもたちが息苦しくしているように見えてしまいます。

如来寿量品の経文に、擣簁和合(とうしわごう)とでてきます。これはどういう意味ですからと質問がありました。
擣はつくこと
簁はふるうこと
で、良医が素晴らしい薬を調合する様子を表しています。
どちらも読みにくい字ですが、それほど日常からかけ離れた読みではありません。
宗祖は擣簁和合した良薬こそ南無妙法蓮華経と表現されています。

今年は畑が生育不良ばかりですが、負けずにやっていこうということで、とにかく畑を耕さなければ始まりません。

牛糞堆肥と石灰は消石灰や苦土石灰ではなく有機石灰を使っています。
消石灰や苦土石灰は効き目は良いのですが、どうしても土が硬くなるような感じがするので、この2年ほどは有機石灰を試しています。

できました。
ブロッコリーとイチゴの苗があるので植えてみたいと思っています。


キーボードを使う際に、すこし手が高い位置に来てくれると楽なのにと思うことが以前からありました。
ということで数年前に自分で竹を割ったものをアームレストにしています。
これいいね
と言ってもらったので、ご紹介しました(笑)
ただ、竹を割っただけの代物です。
でも竹は手のあたりがとても柔らかいので気に入って使っています。
自分にある高さにも調整できますしね。
作り方は、
ただ竹を割るだけです(笑)

どうしても気持ちが落ち込んでいるようなときに、ふと声をかけられた言葉に救われるようなことがあります。
そういうときの言葉はまるで光が差すような感じがします。
次回の法華経のはなしでは、如来神力品を取り上げますが、その中で
「日月の光明がよく諸の幽冥をのぞく…
と説かれています。
大聖人様が日の字をいただいたとされるこのお経文には救いの光というものが非常によく表されていると思います。
とても有り難いお経文です。

YouTubeの投稿にも写真をアップしましたが、今年は野菜の生育が上手くいっていません。

それから、九月の中旬に蒔いた種が先週くらいからようやく芽が出始める始末です。

いくつか原因を考えてみました。
①異常に夏が暑かった
やはり一つの要因に夏の暑さがあったと思います。
なかなか種を蒔く季節になっても、地表の温度が下がらなかったので、なかなか芽が出ない、または芽が出ても双葉がとろけてしまうというような状況であったと思います。
②虫の害
どうも昼間の内には陰や土の中にかくれ、夜になると葉を食べる虫が大量に出てきてしまったようです。
なるべく薬は使わないようにしていますので、見つけた虫はあっちへポイ、こっちへポイとしているのですが、見つけようもないとすると、もうお手上げです。
ということで暑さも落ち着いてきた、というより、急に寒くなってきたので、とりあえず芽が出てくれた者を大事に育てていこうと思っています。
今年はハクサイはほぼ全滅でした…。
境内地に10年近く前に歩きやすいようにと思って敷いた枕木がだいぶ沈み込んでしまっていました。

大雨になると枕木のところが水たまりになっていたので(その時の写真は撮っていませんでした)、やり直すことにしました。
上記の写真のように枕木をいったん動かして、砂利を引き直しています。

水を浸して、地ならしをして…

とりあえず枕木を設置し直しました。
以前よりは3センチほど高くなったので、これで様子を見ます。
雨降って地固まるなので、またそのうち低くなるかもしれませんが、そのときはまたやり直します。
人工知能のことなどを調べてみると、概念的にはかなり昔からあって、それが実際の技術と相まみえるまでのラグがあることがわかります。
その概念的なものというのは、人間の想像力であり、それが創造力へと繋がっていくのですが、その想像力にはいつも驚かされます。
あまり得意ではないのですが、SF小説などはその最たるもので、未来の技術を予測して様々なものが描かれます。
何十年も前に、今の技術の先の先のことが描かれていたりすると、ちょっと恐ろしくもなったりします。
ではなぜそのようなことができるのかというと、それは過去をより深めることで未来を描くことができるのではないかと思います。
しかも、ただ過去を知るだけではなく、そこにどんなつながりを見るのかが大事で、それこそ仏教が説く縁起の真理を観察することが未来を描く意味で重要なのだと思います。

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