信仰の中で行っていることは、日頃に繰り返し繰り返しするものですから、それほど大事なものではないであろうと、意外に省略しがちです。
しかし、みんなで話し合ってみたりして、その化儀作法が如何に重要かを考え直すと、簡単なようなことでも、端折ったり、自分勝手に変えてはいけないのだなということに気付きます。
御本尊を拝するということも同じことで、毎日拝していると、いつの間にかその環境に慣れてしまって、適当に拝するということが出てくるようです。
また、お題目を唱えることが大事なら、お題目さえ唱えていればよいという考えで御本尊が疎かになることがあるようです。
その結果、いつの間にか何を拝んでもいいじゃないかと、祈りの方向があっちに行ったりこっちに行ったりしてしまいます。
そうすると、祈る事自体が乱れしまって、良くないことを祈ってしまう、願ってしまうということがでてきます。
お題目を御本尊に向って唱えるという行為自体が重要な意義を持つのですから、決して省略して良いものではないのです。
境内にあるカエデやモミジやイチョウが紅葉しはじめました。

でもあんまり綺麗に紅葉してくれていません。
モミジは葉っぱがしわくちゃになって、何だか枯れてしまったような感じです。
写真に撮るのもはばかられました。。
イチョウの方は、黄緑の部分が残っているので、あと数日もすれば黄色くなると思います。
紅葉の名所はどのような感じなのでしょうか?
お正月の門松などに使おうと思い、葉ボタンの種を10月に蒔きました。
案の定、育ちが良くないので、門松の時期には間に合いそうにありません。
今日は、植え替えをしました。

本当は地植えにしたいのですが、虫が多いので、薬を使うのも嫌ですし、トンネルをするのはめんどく…。
もうちょとポッドで様子を見ようと思います。
昨日、本日の両日に宗祖日蓮大聖人御会式を奉修しました。
御参詣の皆様と謹んで日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げることができました。
心配された天候も足下を乱すほどではなく、本当に有難く思った次第です。
また御会式を奉修するにあたり、法眼寺法華講の皆様には種々の準備に御尽力を賜り、誠にありがとうございました。
御会式を奉修するには、多くの方の力が必要です。
今年の御会式は特にそのことを考えさせられました。
一人では御会式を奉修することはできません。
互いに声をかけあって、志と力を集めて、そうあってこそ御会式を奉修することができます。
来年にむけて、少しずつでも声をかけをしていき、大聖人様のもとに集い合う喜びを再確認できるようにしていきたいと誓い合いました。
皆様にはご参詣を賜り誠にありがとうございました。
また、共々に精進してまいりましょう。
本日は目師会を奉修しました。
足下の悪い中御参詣を賜り誠にありがとうございました。
謹んで第三祖日目上人への御報恩謝徳を申し上げました。

日目上人は蕪が好物であったと伝わります。
本日は蕪をお供えしました。とっても立派な蕪をお供えできました。
素朴な味を好まれた日目上人のお姿を有難く拝した次第です。
また目師会終了後は御会式奉修のため、お花飾りを行いました。
御尽力頂きました皆様には本当にありがとうございました。
NHK で下記の番組が放送していました。
https://www.nhk.jp/p/rs/34PY344RPJ/
外国人や子供にわかりやすい言葉を使って説明してくれています。
ついつい難しい言葉をそのままに使ってしまいますが、こうやってやさしい言葉を使うには相当な準備が必要だと思います。
とても参考になります。
今日は御会式に御宝前を荘厳するお餅をつきました。

少数精鋭で、出際良く準備をし、見事に餅を突き上げてくれました。
参加した方々の世代は幼いときに自宅でお餅をついていらっしゃった方が多いので、さすがの仕事です。
毎年関心しています。
今日は、秋よりも初夏のような暑さになりましたが、最後にはつきあがったお餅を皆でいただき、今年の新米の餅米を堪能できました。
ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。
今日は明日のもちつきの準備に法華講の皆さんが集まってくれました。
昼間は薄着でも暑いほどになりましたが、お陰様で明日の準備しても万端になりました。
みなさまありがとう御座いました。
しかし、本当に暑いですね。
そのうちに寒くなるのかもしれませんが、十一月の中旬とは思えないほどです。

銀杏もいい具合に太って、もう落ち始めそうなのですが、寒くならないせいか、いつまでもぶら下がっています笑
願いを叶えるのが宗教の本質ではない…
のではありますが、どの宗教にも願いを叶えて欲しいという人々の思いによりそう教えはあるようです。
現在動画のコメントにいただいた質問について調べていますが、たとえばキリスト教は神に願いを叶えてもらう信仰だと思われがちですが、本来のところ、また敬虔な信徒の方から言わせれば、それは違うということになるでしょうし、キリスト教は神と人々との関係性の中に救いがあると言えるのだろうと思います。
ただ、絶対的な神と人々という構図が、信徒の方はさておき、端から見ると、神が願いを叶えてくれるという構図に見えがちなのではないでしょうか。
また、そのような構図になりやすいという側面もあるのではないかと思います。
しかし、上述したように、絶対的な存在が願いを叶えるという構図はどの宗教にも見ようと思えば見えてくるものですから、キリスト教だけがそうであるとは到底言えません。
当宗においても現世利益的なものは信仰の入り口にあるともいえますが、そこに留まるのか、本来の深く、その人自身の生命を救っていくところへと入っていけるか、これは信仰生活を送るその人の人生を大きく左右することでもあります。
今年は、いや最近は毎年、猛暑にような異常気象が続いていて、野菜の栽培をされている方が本当に困っているという話を聞きます。
寒くならないことで育ちが悪くなることもあれば、暑さの影響で虫が非常に多いということもあるようです。
では、薬を使うのかといっても限度があると思います。
そこで、種まきや生育の時期をわざとずらす、という方法があるようです。
たとえば大根や白菜はこの辺りだと9月の第一週に種をまくとされますが、あえて種を巻く時期を10月11月にずらすということだそうです。
そのためにはポッドで育苗をして、寒さに負けない苗作りをしなければいけないどうですが、それも一つの手だなと思います。
昨年も10月に入ってからまいたカブの方が立派に成長してくれました。
これからはこういった方法も様々な業界で増えてくるのかもしれません。
常識にこだわらず、あえて時期をずらす。
一つ違った視点を持つことの大切さを感じます。
最近のご意見