変わるのか?
となりの田んぼが耕されています。
もう田植えの時期ですね。
だんだんと暑くなっていますが、田んぼに水がはられるだけで、
涼やかな季節感を受けます。
コロナの騒動がはじまって5ヶ月、6ヶ月ほどになるでしょうか。
思いも寄らぬことが起きましたから、
新年に立てた目標などすっかり忘れてしまいました。
(だいたい毎年2、3ヶ月で忘れますが…)
時間が経るにつれて、
コロナから逃れる生活と、
コロナと共に生きる生活というものが、
私たちの生活の基本となってきました。
社会的生活の中でも、店舗や事業所などでは、
対策の努力がなされていますし、
私生活の中でも、手洗いうがいや消毒、生活行動の調整など、
様々に工夫がなされています。
その日々で、
「コロナによって社会が変わる」
ということが叫ばれているようです。
実際はどのような変化がもたらされるのかがわからないのに、
「変わる」という言葉が先走りして、
人々の不安感をあおっているような気もします。
参詣される方々の中にも、
「このまま変わっていくのでしょうか?」
と相談を持ちかけられることがあります。
「変わるのか?」と問われれば、
「変わる」と答えています。
なぜなら、そもそも私たちは日々変化をしているから。
仏教の基本の基本として諸行無常があります。
仏教なんて知らないよという方でも知ってられる教えと思います。
これは無常とつきますから、無情という言葉と重なって、
とても虚しさを感じさせますが、
「諸行無常」自体は世間の物事すべての状態をあらわす教えです。
常に変化している。
とどまることはない。
私もあなたも。
世間も社会も。
ですから、「変わるのか?」と問われれば、
「変わる」と答えるのです。
ところが、人間はこの変化にめっぽう弱いものです。
なるべく同じ日常がよい。
相手の自分に対する気持ちはいつも同じであってほしい。
そこにあるものは、いつもそこにあってほしい。
大なり小なり、こういったことを誰しも思うはずです。
余談になりますが、
現代人は都会化する生活の中でストレスに弱くなったと言われています。
コンクリートのビルでは、床も壁もしっかりしています。
スーパーやコンビニにいけば、とりあえず食べるものもあります。
一方、自然に近い生活は変化の連続です。
山道を歩けば、急に穴があいていたりして、足を取られたりする。
突然生き物に遭遇することもあります。
私も小さいながら畑でやさいなどを育てていますが、
植物は毎日変化しています。
芽が出たり、葉がしおれたり、虫に食べられたり、病気になったり。
いつも敏感になっていないと、変化に追いつけなくなって、
枯らしてしまったりするのです。
都会に疲れて、自然の中へという余暇が今流行っていますが、
考えて見ると、変化の少ないところから、変化の多いところへ、
わざわざ向っているのです。
これは、実は生き物として、変化を感じることが、
無意識に大切なことだと思っているからかもしれません。
話を戻しますが、
人は変化に弱いものです。
できれば何も変わらないでいて欲しい。
でも、世の中は変化していきます。
ただ、此の度のコロナによる変化は急激なものです。
またこれがどのような結果を及ぼすかは、まだ誰もわかりません。
もうみんなと手をつなぐことはできないのか?
大声で楽しく歌うことはできないのか?
つらく悲しいときに身を寄せ合うことはできないのか?
こういった不安が頭をよぎります。
とはいえ、何度も言いますが、
コロナによってどう変わるかは、まだ誰もわからないのです。
ですから、今は、コロナが終息したら、
またみんなで手を取り合えばいい、
また大声で元気に歌を歌えばいい、
また身を寄せ合って励まし合えばいい、
と私は思っています。
変化は必ずします。
でも、自分で無理に変わる必要はありません。
変えることもない。
なぜなら自ずと変わるから。
ですから、今は、日一日を大切に生きて、
その日々を積み重ねていきましょう。
大丈夫。
踏み進める先に、光と道は必ずあります。



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