学ぶのか行ずるのか
撰時抄の冒頭は、
「夫れ仏法を学せん法は、必ず先づ時をならうべし。」
と始まります。
ここに素朴な疑問として、
仏法は学ぶもの?
仏法は修行するもの?
ということを感じます。
仏教と聞けば、修行するものと感じるのが一般的。
「一信、二行、三学」という教えがあります。
まずは、信ずること。次に行ずること、そして学すること。
この順番が崩れると、信心に迷うといいます。
学ぶための仏教になると、それは知識でしか有りません。
ですから、まずは信が大事であるという教えです。
一方で、信が先にきたら、自然と行も学も立ち上がります。
信がある人が、行も学も行わないということはないからです。
ですから、純粋に学したいと思う人は、そこに信の芽生えが必ずあるということも
いえるかと思います。
信が立つとき、そこに実際の行いも、素直な学びもそこにあるということです。
学びが進まないとき、自分自身に信があるか問うてみることが大事と思います。


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