※昨日のブログがアップできていなかったようなので、先ほど公開しました。
大雨が続いていたかと思うと、ここ数日大変な暑さになっています。
できるだけ夏バテしないようにとは思うのですが、夏バテしがちな性分でもあるので、いろいろとアドバイスをもらって暑さ対策には気を付けています。
ここでいつか共有したいと思います。
適切に使いましょう。やせ我慢をしても何にもならないですし、倒れるようなことがあれば元も子もありません。
「夏バテするからしっかり食べなさい」
と言われてきましたが、夏に食欲が落ちるのは自然なことだそうです。
もともと冬は寒いので体温を上げるためにかなりのカロリーを使います。
一方夏は体温が高い状態ですから、それほどエネルギーを使わない。
なので、食事を取り過ぎると胃腸が弱ってしまうそうです。
人間は消化にものすごいエネルギーを使ってしまうので、食べられないときは無理に食べずに、また少ない量でしっかりと栄養を取れるものを食した方がいいそうです。
暑いので体を冷やすことは必要ですが、一方で内臓が冷えると、体がだるくなるそうです。
以前に90を越えて元気なおじいさんに、健康法は?と聞くと、
「冷たいものは飲んでいません」
と仰っていました。
体の熱が上がっているときは冷たいものを取った方が良いそうですが、もし涼しい部屋で過ごすことができるなら、冷たいものより、少し暖かいものを飲んだ方が良いかもしれません。
夏の日中に眠くなるのは、暑さで体力が落ちてしっているのが原因の一つだと聞きました。
体力を回復するために、睡眠時間を増やした方が良いそうです。
□□□
以上です。
科学的見地に基づいて…というわけではありませんので悪しからず。
とにかく暑い夏は無理をしないようにするのが一番です。
上手に休憩を入れながら過ごしてください。
インターネット、テレビ、書籍などで最近の葬儀のことなどが頻繁に紹介されているように思います。
それだけ、世間において葬儀に関することが不安に思うようになったということかもしれません。
20年くらい前までは、良くも悪くも、葬儀というのはこういうものというのがあって、それに従うしかないというような状況がありました。
こちらとしては、葬儀をするのであれば、こうであってほしい、またこうしておいたほうが良いというものがあります。
とはいえ、それぞれの人が葬儀をこうしたいと思うことを退けて強制するようなものはありません。
ある意味、世間の方が、葬儀に関することを自分で考え決定する時代になったということでしょうか。
納得してされるということであれば、それも決して悪いわけではないと思いますが、ただでされ臨終のときというのは、本人も残される人も身心共に多くの負担を感じます。
自分で決断して自分流の葬儀を行った。でも、後にその葬儀に不安を感じるようなことがあったとしたとき、伝統的な葬儀であればフォローアップも可能だとは思いますが、やはり相当に負担が大きいと思います。
そういうときに儀礼的とはいえ、安心して任せることができるという教えや習俗があるというのは、とても大きな意味を持つと思います。
時代の流れや風潮に惑わされて既存のものを否定せず、冷静な視点で葬儀や法事について考えて欲しいと思います。
あるシンポジウムのような対話を聞いていて思ったことです。
「昔はこうだったと思うのですが…」
「昔はこうだったけど、今は違うようね…」
という、この昔とは
「いつ?」
のことなのか。
70年代は…
とか
80年代頃は…
といわれると具体性がありますが、ただ漠然と「昔は」と言われると余り説得力が無いと感じます。
また、その「昔」なるものを探ってみると、実はそんな昔はなかったり。。
昔に自分の理想を重ね合わせるようなところが結構あります。
こういう場合の「宗教的」というのは理由もなく盲目的に信じるようなことを言うのでしょうが、そういうものは世の中にごまんとあります。
ある企業の製品が好きだから、〇〇信者
とか
科学至上主義も一種の宗教
とか。
宗教的でないものを探す方が難しいと思います。
いぶかしいものが、「宗教的である」と表現されることに違和感を覚えつつも、これが世間の見方であるということを痛感したりします。
今日は、久しぶりの再会がありました。
数年ぶりですが、10代の数年は大人の数年とは違い、本当に変化、成長を感じます。
少しの時間でしたが、お話しができてとても嬉しく思いました。
若い人の目線は、とても鋭く、また本質的なことをしっかりと見ていると感じました。
そして、子どもの頃からの成長を見守ることができて、こんなに有難いことははいなと思います。
若い力に元気をもらった一日でした。
本日は、御経日を奉修しました。
朝から強い雨が降る中、深信の御参詣を賜り本当にありがとうございました。
御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊への追善供養を申し上げました。
法話では高橋入道殿御返事についてお話しをしました。
建治元年頃の大聖人様の御法門が簡潔にまとまった御書であり、弟子檀越たちへの心配りが詰まった御書ですので、是非全文を拝読頂きたいと思います。
高橋六郎入道は、この建治元年末頃に亡くなったとされます。
病に蝕まれる体で、身延の山中にいらっしゃる大聖人様のもとを訪れたことがこのお手紙の中で言及されています。
そして、高橋六郎入道が参詣されたことを大聖人様は大変に有難く思われたことも示されています。
私たちは、そこに行くことで、他者を励ますことができるということを改めて考えさせられる内容です。
コロナの時代にあって、直接会わずともつながる手段は増えたわけですが、それでも、行くことでこそできるつながりもあるのではないかと思います。
この時間になって、当地でも雨が激しくなってきています。
今日お話しした方も、
最近の雨の振り方は怖い
と仰っていました。
その方は畑もされるので、水捌けのことなど苦労が多いと仰っていました。
慣れた時が怖いので皆様十分に注意してください。
今日は寺院清掃でした。
梅雨の晴れ間の快晴となり、気温も高くなる中、清掃をしてくださいました。
本当にありがとうございます。
清掃後は、お寺で採れたヤマモモやトマトをいただきながら対話ができました。
寺院を護ることの苦労や、次の世代が育っていく話など、いろいろな話題がありました。
寺院は、地域や環境、またその寺院が持っている歴史によって、そのあり方も大きく違います。
どれが正解というわけでもなく、僧侶や御信徒がお互いに心を寄せて護っていくことが大事で、そうやった護られてきたお寺には、それぞれの魅力があると思います。
寺院は観光でいくところという形で紹介されることが多いですが、生きた信心の場としての寺院に触れる機会が増えてくれると嬉しいと思っています。
最近のご意見