動画のコメントで、
何故足るは足なの?
という質問をいただいていました。
ご質問をいただくまで考えたことがなかったので、言われてびっくりしました。
ということで、いろいろ調べてみましたが、はっきりとした答えはわかりませんでした。
インターネットでも調べていただくと分かりますが、いろいろな意見があるようです。
こういうことは結構あって、言葉の不思議さを感じます。
仏教用語には、サンスクリット語の音写の言葉がたくさん出てきますが、意味がないとは思えない程、不思議なニュアンスの漢字が並んだりするので、一種の神秘性を感じたりします。
今年はヤマモモが

例年よりもたわわに実っています。
というのも、春先にすかし剪定を行いました。
そうすることで実の数をあえて減らし、木の栄養を残った実に振り分けることができるそうです。
お陰でとても大きい実がしっかり育っています。
ヤマモモは熟すとどんどん落ちてしまうので、お立ち寄りの際にはどうぞご自由に収穫して下さい。
甘酸っぱくて美味しいです。
下記の本を読んでみました。
コミック昭和史(1)関東大震災~満州事変 (講談社文庫)
作者は水木しげる先生です。
いつもの可愛らしいげで、少し不気味な雰囲気で、昭和という時代が明かされていきます。
歴史の記述に関しては、いろいろと意見があると思いますが、昭和の時代を生きた作者の生活も横に描かれていて、むしろそちらの方が興味があったりします。
時代が違うだけでは片付けられない何かかがあります。
説法をするにあたって、台本のようなものを作成します。
そういったものがなくても説法が出来る方もいらっしゃるようですが、頭の中を整理するためにも、自分にとっては台本作成が欠かせません。
昔の方も同じように台本を作成していたようです。
そういった説法集のようなものが現存していて、見ることができるのですが、読んでみると、その緻密な勉強の様子に驚くばかりです。
丁寧さとも言えるでしょうか。
読む度に反省させられます。。
「立てれない」
って岡山弁ですよと教えてもらいました。
だって「立てない」で通じるでしょ、
とのこと。
えぇ違うよ、これは立てることが出来ないという意味で、「立てれない」とつかっているですよ、
と反論すると、
立てれないは、ら抜き言葉になっているし、らをいれた「立てられない」だと別の意味になるでしょ、
と。なるほど、本当ですね。
気付かないうちに使っている方言がまだまだありそうです。
以前から、
木の二画目ははねると×
というのが何故だろうと思っていました。
確かに教科書でははねていませんが、書道の手本などでははねていたりします。
さらに書いてみれば分かりますが、木の二画目などははねた方がよっぽど書きやすいのです。
どうも納得いかないと思っていたので、調べて見たら、
https://toyokeizai.net/articles/-/188728
上記のような記事を見つけました。
どうも「どちらでもよい」というのが正解ならしくて、でも、それだと曖昧なので各自の判断に任せたら、教科書体が勝手に正解となってしまった…ということらしいです。
記事内にもありますが、国も平成28年に文化庁が指針を示しています。
常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf
なんと240ページ近くあります…。
読んでみると、教える側の難しさも十分理解できるのですが、だからといって、教科書の通りの文字しか正解にならないのでは、漢字の歴史と文化の面白さを学ぶ機会が失われてしまうのでは無いでしょうか。
ちなみに指針では明確に一部のフォントが漢字を規定するものではないことを示しています。
本日は、御報恩御講を奉修しました。
朝からあいにくの雨でしたが、参詣者がいらっしゃる頃には雨脚も弱まり、御参詣の皆様と宗祖日蓮大聖人への御報恩を謹んで申し上げました。
足下の悪い中の御参詣誠に有難く思う次第です。
法話では「南条殿御返事」についてお話しをしました。
まだ、16、17歳くらいの南条時光殿が、白麦などの御供養を大聖人様のもとへ届けられたことに対する返状になります。
南条時光殿は幼くして父を亡くして、若くして家督を継ぎます。
周りの人たちからの横槍なども多く入る中、当主としてやっていかなければならない。
そういったつらい状況を大聖人様に御報告されていたのかもしれません。
本抄の追伸では、そんな南条時光殿に対して大聖人様の温かい励ましの言葉が示されます。
思い切りなさい。もしダメであっても、身延の私の所に来なさい。
南条時光殿はどれだけ励まされたでしょうか。支えにされたでしょうか。
御書を拝するとき、その御書を賜った檀越の気持ちを考えると、また格別のものを感じます。
本日は、御逮夜法要を奉修しました。
謹んで、宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。
法話では、南条殿御返事を取り上げます。
大聖人様の残された御書には、真蹟(真筆)が残されているものがとても多くあります。
それらの御文字は容易く読めるわけではありませんが、じっと眺めているだけでも、とてもありがたい気持ちになります。
どんなお気持ちで認められたのだろうか?
と考えるのはもちろん、
どんな道具を使われたのだろう?
どんな場所で?
どんな姿勢で?
などと想像すると大聖人様を何だか身近に感じることができるように思います。
皆さんはどんなことを想像されるでしょうか。
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