現在の葬儀は家族葬が主流になっています。
家族葬の定義は本当は決まっていないので、親類が多い、列席者が多ければ、参列者の多い葬儀になりますし、親類が少ない、列席者が少ないとなれば、小規模な葬儀になります。
ただ一般的には小規模な葬儀のことをいうようです。
それでも、普通そうと呼ばる今まで通りの葬儀を行ってくれる場合もあります。
一般の方、友人や仕事仲間なども参列してくれる葬儀では、ご遺族では知らない故人の一面を知ることができたりして、悲しい別れですが、一人の人間の一生に触れることができて、やっぱり良いものだと思います。
それぞれ状況も環境も違うので、葬儀はこうあるべきだというのはよくありませんが、人間は家族だけで生きているわけではないので、葬儀が触れ合ったなるべく多くの人との別れの場で会って欲しいと思っています。
門松を崩した竹で鉢を作りました。

だいたいの大きさに切ります。だいたいです。

そこに穴を開けます。だいたいの位置に。

洗います。だいたいに。

ということでできました。だいたいなのが。
だいたいですが、大満足です。
ほかならぬは、
他ならぬ
と
外ならぬ
と書きますが、意味に違いはあるのだろうかとずいぶん前から思っていました。
調べてみると、違いがあって、
他ならぬ:対象(人や物)が、他でもなくまさにそのものであることを強調する場合。
外ならぬ:その範囲や枠を超えた、特別なものであるというニュアンス。
だそうです。
ただ、最近では、ひらがなでほかならぬと書くことが推奨されているそうです。
こちらのサイトが詳しいです。
悲しいことを受け止めるのはとても難しいことです。
その難しさを理解してもらうこともとても難しいです。
悲しいことなど自分には起こらないと思っていますし、現代人は悲しいことを避けて生きるようになっていると思います。
その一つには、異様なまでのポジティブ圧力で、「いつも前向きでいよう」「自分をアップデートしよう」という意識が強くなりすぎ、「悲しむこと」が停滞、あるいは敗北のように捉えられてしまっているのではないでしょうか。
悲しいことを受け止めることは人間にとってとても大事なことです。
そして、この世の中には残念ながら悲しいことが必ずあります。
そのことを若いときから知ってもらう、悲しいことを受け止めることが難しい事を知ってもらう、そのためにも様々な世代に対して信仰を説いていくことが必要だと思っています。
最近、いろいろなところで孤独が身心共に害となることを聞くようになりました。
人間関係が希薄になった世の中だからということは、もう何十年も聞いてきたことのように思いますが、その希薄さが身心の健康にも影響するということです。
考えてみれば当たり前の事で、人間はもともと力も弱く、集団でいることで生命を維持してきました。
科学技術が発展したといえ、人間のある意味での弱さは変わらないわけで、孤立化すれば不安定化するのは目に見えています。
若い人が人付き合いが悪いと言うようなことを言いますが、実際は年配の方の孤立も目に見えて増えていますし、孤独死の問題は全年代に当てはまるということもいわれています。
四苦八苦には、怨憎会苦とあって、嫌いな人に会う苦しみというのは含まれていますが、いつの時代も人間関係は難しいものだと思います。
でも今の時代は、その難しさを、科学技術を使ってさらに小難しくしているようにも感じます。
下記の本を教えてもらいました。
虫と蟲とムシ 松橋利光著
https://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=31166
読みは同じ
むし
ですが、なるほどこんなに違うんだと驚きます。
いろいろな虫をアップで見ることができるので、気付かない姿もよくわかります。
また、分類の難しさもよくわかり、生物の不思議さも感じます。
こういう本を手に取るとインターネットではなかなか表現できない本の良さを感じます。
明治から大正にかけてくらいの文章を読んでいて、上記の言葉がでてきました。
昭々乎は
しょうしょうこ
と読んで、意味としては、道理や物事が明るく照り輝いているように、きわめて明白で隠れようがないさま、です。
渋沢栄一が著書の中で使っていたようですが、当時よく使われた表現なのかも知れません。
もう一つ、牢々乎は
ろうろうこ
と読み、正しくは「牢乎(ろうこ)」または「牢乎たる(ろうこたる)」という表記で使われることが多い言葉で、意味は、かたくしっかりしていて、動じないさま。ゆるぎない様子になります。
どちらも現在ではあまり見ることのない言葉ですし、大聖人様の御書中にも見当たりません。
時代によって使われる言葉は変化するのですね。
ちょっと聞いた話なのですが、ある会社で若い子に注意をしているときに、その子は先輩の注意をスマホを見ながら聞いていたそうです。
話をしてるときにはスマホを見るもんじゃない
と注意したら、その子はポカンとしていたそうです。
なんでポカンとしているのかを聞いたら、
スマホを見ながら話を聞いてはいけないと言われたことがなかった
と言ったそうです。
その子は社会人生活を始めるまで、そういった注意をしてもらったことがなかったんだと思います。
ある意味可哀想だ
とその方は仰ってました。
確かに、必要な注意は必要なときにちゃんと受けとくべきなんだなと思います。
トマトの種まきを蒔きました。

蒔いた後ではただの土の表面の写真ですね。。
7〜10にちほどで発芽すると思います。
ところで、この蒔くは、なぜ草冠に時なのか。
いろいろ説があるようです。
ただ昔の人が種を蒔く、苗を植えることに時の意味を寄せたというのは想像ができますね。
時期を外すと芽が出ません。
その時を知る行為が、蒔く、ということでしょうか。
最近のご意見