後の事
よく仏教は死後のことを説いていないという言説を聞くことがあります。
それ故、葬式や法事、追善供養などの精神は仏教にはないということも言うそうです。
以前からこの言説に対して、本当にそうであろうかと思っています。
ちょっと話は変わりますが、鎌倉時代より以前の一般の人の生活はあまりはっきりしたことがわからないそうです。
それは記録がほとんど残っていないから。
なぜ記録が残らないかというと、それは日頃の生活というのは、その当時を生きる人にとって当たり前のことだからです。
あまりに当たり前すぎることはなかなか記録には残りません。
さて、仏教に話を戻すと、釈尊は死後の世界を説いていないと言いますが、それは逆に言えば死者を弔うことは当時の人にとって当たり前のことであったからだとも思うのです。
誰もが当たり前に亡くなった人に対して弔う感情を持ち得ていたから、釈尊はあえて死後の世界を説く必要もなかったのではないかと。
そう考えると、末法の時代というのを改めて実感します。
死者を弔うことが当たり前では無くなった時代。まさに末法といえるのではないでしょうか。
当たり前でなくなったのなら、やっぱり言っていかないといけない、大事さを伝えていかなければいけないと思います。
釈尊に言説がなかったなどという言い訳はできません。
それだけ生きてる人にとって、死は重要なことだからです。
大聖人仰せに曰く、
まずは臨終のことを習って
です。


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