本日は御逮夜法要を奉修しました。
また、東日本大震災から丸12年、十三回忌にあたりますので、御塔婆を建立し謹んで御回向を申し上げました。
12年が経ちましたが、やっぱりまだ何か自分の中に落とし込めていない何かがあります。
何もできなかったという無力感や、今も復興のために戦っている人たちのことを思うと、なんとも言えない気持ちになります。
今もトルコやシリアで震災の中苦しんでる方がいます。
自然災害ですから人間ごときが何かできることはない…とはいえないものがあります。
人災です。
便利さを優先したり、豊かさを享受するあまり、何か大切なものが犠牲になっていないか、いつも考えていなければいけません。
社会全体の変化などは望みませんが、少なくとも自分一人の行動や認識から変えていかなければならないと思います。
本日は御報恩御講ならびに誕生会を奉修しました。
春が訪れたかのような錯覚を起こすような気持ちのよい天候の中、御参詣の皆様と宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げることができました。
御生誕800年を迎えましたので、一昨年ということで月日が過ぎ去る早さを思います。
大聖人様は小さな漁村で誕生されたことを終生、御自身の中心にすえておられました。
それは地位や名誉によらない、揺るぎない境地を得るために、またそれを他者へ示してくために、当時低い地位におかれた人々に寄り添っていかれました。
後に、
「日蓮は日本第一の富める者」
と宣言されるのですが、当時の大聖人様は世間からみれば決して社会的にも経済的にも富める者ではありませんでした。
それでも真の富める者との境地は、今を生きる私たちにも、揺るぎない安心を与えてくれます。
2月16日には家庭のお仏壇にて御報恩の読経唱題を申し上げ、真の富める者とならんことを御誓願ください。
本日は、本年最初の御講を奉修いたしました。
正月に引き続き大勢の皆様の御参詣を賜り誠に有り難く思う次第です。
謹んで日蓮大聖人様への御報恩を申し上げさせていただきました。
法話では引き続き撰時抄についてお話しをしました。
今回のお話しした部分は、獅子身中の虫について大聖人様が仰せの部分です。
獅子身中の虫は、仏の教えは、外からではなく、内から壊されるということを指摘した教えです。
これは多くの場面で当てはめることだと思います。
あいつは嫌いだ、こいつが嫌だと言い出したり、みんなでやることが大事なのにいつの間にか個人の思いばかりが優先されたり。
そもそも本来の目的を見失って、内部の人同士で攻撃し合ったり。
そして一番怖いの、自分が獅子身中の虫になっていることに気付かないということです。
そう考えると、まずは自分自身を見つめ直す冷静さは常に必要といえるかもしれません。
次回は、大聖人様の三度の高名の最後、佐渡流罪から国家諌暁される場面についてです。
今日はとても暖かかったです。
こうなると寒くなるのが怖い…。
皆様気を付けてお過ごしください。
本日は御報恩御講を奉修しました。
本年最終の御報恩御講に皆様大勢の御参詣をいただきまして、ともどもに宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げることができ、本当に有り難く思った次第です。
法話は、新尼御前御返事を取り上げました。
新尼は変わらぬ信心を続けておられた女性檀越です。
一方新尼御前御返事に登場する大尼は、信士がゆらゆらしてしまう方でした。
大聖人様に対して大尼から御本尊様を授与して欲しいとの願い出がありましたが、大聖人様はそれを許しませんでした。
信心堅固な者に御本尊様を授与するとのけじめを示されたのでした。
この新尼御前御返事を拝読して、新尼は立派だ、大尼はひどい奴だ、ということではなく、私たちの信心の中に大尼のような部分はないか、いつも反省していなければならないと思います。
今年ももう暮れていきますが、信心第一に日々を大事に過ごしてまいりましょう。
本日は御報恩御講を奉修しました。
急に涼しさ…というより肌寒さを感じる中、御参詣の皆様と宗祖日蓮大聖人様への御報恩の読経に勤めることができ、誠に有り難く思う次第です。
法話は撰時抄の7回目でした。
大聖人様が法華経の自覚をはっきりと明言されている箇所や、天災がなぜ起こるか、その理由を仏説に求められている箇所についてお話しをしました。
撰時抄にこんな語一節があります。
「守護経に云く「彼の釈迦牟尼如来所有の教法は、一切の天魔・外道・悪人・五通の神仙、皆乃至少分をも破壊せず。而るに此の名相の諸の悪沙門、皆悉く毀滅して余り有ること無からしむ。…」
これは仏説は外部から崩されることはないが、内部の悪僧によって崩れていくというお経文です。
こういった経文が残されているということに仏教の真髄があるようにも思います。
どんな組織や団体でもそうだと思いますが、外部からの問題で結束が崩れることはあまりありません。
一方、内部であの人が嫌いだとか、この人がどうだとか、そういうことが始まるとその組織や団体はどんどん力を失っていきます。
怖いことです。
それこそ信心においては、自分が仏説を汚すようなことにならないように気をつけていかなければならないと痛感します。
本日は御報恩御講を奉修しました。
御参詣の皆様には感染症対策へのご協力誠にありがとうございます。
雨が降ったりやんだりとはっきりしない天候でしたが、御参詣の皆様と大聖人様への御報恩を申し上げることができ、誠に有り難く思う次第です。
法話では、撰時抄の続きをお話しし、また、信心をする理由についてお話をしました。
今、世情によって、また信心が変な形で捉えられる状況になっています。
何年かに一度はこういう状況がきます。
本当に残念なことです。
信心というのは、信ずる心であり、誰しもが持っているものです。
何も信じていない、で生きることなんて誰もできないと思います。
そうであるなら、信というものがもっと大切にされて欲しいと思います。
そのためには、何を信ずるべきか、どう信じていくのかがもっと議論される世の中でなければならないのではないでしょうか。
本日は、御逮夜法要を奉修しました。
参詣の皆様には感染症対策へのご協力誠にありがとうございます。
少し過ごしやすい…と思っていましたが、今日は相変わらず蒸し暑さが続く気候となりました。
暑さに負けず、皆様と共に御報恩の読経唱題を勤めることができ、誠に有り難く思う次第です。
今日は中秋の名月ですね。
残念ながら当地では曇りで月見ができませんでした。
なんども確認しましたが、今日は月に巡り会うのは無理なようです。
中秋の名月をなかなか見ることができないような気がしますが、そんなことはないでしょうか。
それにしても月を愛でるなんてステキな文化だと思います。
ちなみにこちらでは、
十五夜の前夜、旧暦8月14日の月は「待宵月(まつよいづき) 」。翌日の満月を楽しみに待つ気持ちが込められています。十五夜の翌日の月は「十六夜(いざよい)」。「いざよう」とは「ためらう」という意味で、十五夜の月よりも遅くためらうようにして出ることをあらわしています。十七夜の月は「立待月(たちまちづき)」、十八夜は「居待月(いまちづき)」、十九夜は「寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)」、二十夜は「更待月(ふけまちづき)」と呼びます。立待月は「立って待っていると出てくる月」という意味で、その後「座って」「寝て」待ち、「さらに夜が更けて」と続きます。
https://tenki.jp/suppl/grapefruit_j02/2022/09/06/31381.html
と紹介されていました。
それぞれ名前をつけるなんて…、ちょっと愛ですぎではないでしょうか(笑)
本日は、御報恩御講ならびに盂蘭盆会法要を奉修致しました。
(御参詣の皆様には感染症対策へのご協力誠にありがとうございます)
皆様と共々に日蓮大聖人様への御報恩を申し上げるとともに、各家先祖諸精霊の追善回向を申し上げることができ、本当に有り難く思う次第です。
コロナ禍でなかなか参詣が叶わなかったお子さんが、久しぶりに参詣され、すっかり大人っぽくなていて、子どもの成長の早さを感じました。
少し学校生活のことなども聞くことができ、なかなか思うようにならない状況などを話してくれました。
そんな中でも社会人としての自覚を持って話してくれるその様子に、こちらも背筋がピンとなりました。
むしろ大人顔負けの意見の数々に、大人もタジタジでした。
今日は御報恩御講を奉修しました。
(参詣者の皆様には感染症対策へのご協力誠にありがとうございます)
この22日には、法眼寺は建立10周年を迎えます。
皆様の護持護法の信心のお陰でこの日を迎えることができました。
本当に有り難く思う次第です。
乙御前御消息に仰せの如く、
「今一重強盛の信心」
で互いの精進してまいりましょう。
なお、記念法要は11月を予定しております。

今年はなかなか咲いてくれなかった蓮がようやく花を見せてくれています。

蓮は言葉にはできない美しさがあります。
本日は御報恩御講でした。
参詣者の皆様には感染症対策へのご協力誠にありがとございます。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。
今日は、現状のウクライナ情勢などを踏まえつつ、護ることとは何たるかをお話ししました。
今私たちが日常的に当たり前に出来ていることは、当たり前のものではないと気付くことで、世の中の見方が変わってきます。
この視点を常に忘れないようにしていきましょう。
昨日は雨でしたが…、

虹が出ました!
何年ぶりでしょうか。
こんなに空に広がる虹を見たのは。
感激しました。
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