Monthly Archives: 7月 2023

雑記

御講などの法要の後や法事の後などには説法を行います。

説法の難しさは、自分でよく話せたと思う時はあまり伝わらず、自分では全くよく話せなかったと思う時ほど、説法が終わった後、

今日の話はよく分かりました

とお声かけ頂いたりすることです。

とにかく一方的な話ではダメでどこかこうする部分がないとだめなのだとつくづく思います。

説法は時代によっても変化しているようです。

どこかの書物で当宗でも、明治大正の頃にはすでにスライドを映し出して説法が行われていたと読みました。※書物を忘れましたので、また分かりましたらここで書きます

本義を違えぬようにしながらも、いろいろと試行錯誤は必要なのだと思います。

ミニひょうたん

今年は緑のカーテンにミニひょうたんを育てています。

ゴーヤがいいかな、朝顔がいいかなと悩んでいましたが、ちょうどミニひょうたんの苗があったので購入してみました。

順調に育ってくれていて、ひょうたんがどんどんできています。

すごく可愛いです。

でもこの調子でどんどん出来ていったらどうしましょう。。

ひょうたんだらけになりそうです(笑)

英訳

英語ができるわけでもないのに、字幕をつくる関係で英訳を調べたりするのですが、英語ができるわけでもないので、これが本当にあっているのか?と困ってしまいます。

英語ができるわけでもないので、言語の壁はとにかく大きい。

地涌の菩薩は、Bodhisattvas of the Earthと訳されるらしいです。

分かるような分からないような、何だか違和感があります。

英語ができるわけでもないのに…。

鳥の巣

先日、セグロセキレイの巣ができていると書きましたが、今日その巣が地面に落ちてしまっていました。

雛が1羽生きていたので、巣を段ボールに移し替えて、元の巣の場所の近くに設置しました。

まだ親鳥が雛を見つけれないようで、互いに鳴き続けています。

その声がとても切なくて胸が痛みます。

これ以上はどうにもできないので、見つけてくれることを願うばかりです。

暗闇から

日曜美術館「だるまさんの魔法 絵本作家かがくいひろし」を観ました。

とても素朴な絵で、とても好きな絵本ですが、作家のかがくいひろしさんが亡くなられているとはしりませんでした。

障害者教育の中で感じたことが反映された絵本の数々は、大人には分からないような形で子どもに響くようです。

作者の言葉の中に、

自分は悲観論者だから

とありました。

彼の作品が、とっても明るく感じるのは、もしかしたら暗闇や悲しみを知っているからかもしれません。

改めて、かがくいひろしさんの絵本を手に取っています。

(昨日は法務の都合上、更新ができませんでした。失礼をいたしました)

仏教説話13 「ただ道を教えるのみ」

できるだけ見てみたい

今日90歳を目前にした女性と電話でお話をしました。

遠方にいらっしゃることもあって、直接お顔をあわせる機会は少ないのですが、折に触れては電話でいろいろとお話しをしています。

なにせ、とにかく、こちらが気付かない物の見方を教えてくれますから、やはり戦前戦後の苦しい中を生き抜いてこられた力強さを感じずにはいられないわけです。

今回もお話しする中でも、

世の中は大変に良くない

しかし、自分は長生きをさせてもらっている

それなら体を大事にして、できるだけ世の中のことを見てみたい

と仰っていました。

こういう人の前では悪いことはできません。

別に悪いことをしようというわけではありませんけども、しかし、

世の中のことを見ていますよ

と仰る方の前で、平気で嘘がつける世の中になってはいけないわけです。

いい歳の取り方だとつくづく思わされます。

今日一日の生き方が晩年になって現れるのだと痛感します。

生きたいんだ

ピクサーの作品に「WALL・E」があります。

作品の内容はここで語ることもないと思いますが、宇宙船にいる人類を地球へ戻す決断をする船長が、それを拒むコンピューターと押し問答する場面があります。

「地球へ帰るんだ」

「だめです」

「絶対に帰るんだ」

「宇宙船にいればあなたたちは生き残ることができます」

「ぼくたちは生き残りたいんじゃない、生きたいんだ」

船長はそう叫び、コンピューターの支配から人間を解放します。

歴史上、人間は、生き残ることよりも、生きることの意義を追い求めたことが何度となくあります。

ときに命を短くする行為でもあるにも関わらず、ただ漫然と生き残るのではなく、たとえ困難な人生でも、難しい環境でも生きることを選択することがあります。

不思議ですが、その選択に、価値観だけでは説明できない、命の神秘を感じます。

さて、現代人は生き残ろうとしているのでしょうか。生きようとしているのでしょうか。

雑記

今釈尊の御一生をまとめています。

思っている以上に長くなってしまっています。

いつ頃までにまとめることができるかが検討がつかなくなってきました。

登場する人物は釈尊以外は基本的にカタカナにしていますが、このカタカナで改めて表記してみるとそんな表記だったかなと混乱してしまいます。

スッドーダナはスッドダーナだとばかり思っていました。

スッドーダナが正解のようです。

鋭意まとめていますので本当に気長にお待ちください。

優形

『アングッタラ・ニカーヤ』という経典に、

わたくしは、いとも優しく柔軟であり、無上に優しく柔軟であり、きわめて優しく柔軟であった。

中村元訳

とあります。

これは釈尊が若い頃、体が柔弱であり優形であったことを示した経典とされます。

体があまりお強くなかったようです。

一種の品の良さはありながらも、壮健で無かったことが物事の捉え方を深める一要因になったのかもしれません。