これは
らんだけたい
と読みます。
特に、仏道修行に精進しないことをいいます。
この懶、あまり見かけない字なのですが、調べてみると、この字自体に「なまける」という意味があるそうです。
ということで、いろいろなまけるに関して調べていたら、自分の怠け具合を叱られている気になりました。。
本日は朝から正月のお飾りする門松用の竹をとってきました。
毎年実際に山へ行って切り出しています。
その様子は過去にも動画をあげています。
https://youtu.be/9RxRfwioCc0?si=DDZCtjRhBqi-Yrfa
今日は今年1番の冷え込みになりました。
でも朝は日差しも多く作業をしていると汗ばむほどでした。
作業が終わって午後からはすごい荒れ模様になりました。
明日からも冷え込みが厳しいようなので気をつけてお過ごしください。

仏教を学んでいると様々な境界というものを考えさせられます。
境界がありつつも、その境界を越える、または境界を消すような働きが仏教の中には説かれているからです。
明日、アップする動画の中でも少しだけ無我について話しています。
無我は自分と他者の境界を越える教えだと思っています。
ところで、書家の人の話などを聞いていると、何度も何度も字を書くうちに筆の先が自分の指の感覚と同じになるというようなことを仰っていることがあります。
さらにいえば、紙も自分と同一になるという感覚もあるそうです。
紙に字が見えてきて、それに沿うように字を書く感覚があるそうです。
これは自己の拡大といえるのか、それとも他との同一といえるのか。
いずれにしても、ここにも無我の教えが見えるような気がします。

江戸時代の文章などに
申聞る
と出てくるのですが、申す?の聞くの?と思っていました。
調べると、
もうしきかせる
と読むようで、意味は、
〘他サ下一〙 まうしきか・す 〘他サ下二〙 (「言い聞かせる」の謙譲語) 申しあげてお聞かせする。告げ知らせ申しあげる。また、「言い聞かせる」を重々しく言う。告げ知らせる。道理を述べて教えさとす。申し聞ける。※讚岐典侍(1108頃)上「僧正猶御かたはらにそひゐ給ひて、何の事にか、忍びやかにつぶつぶと申きかせ給ふ」
https://kotobank.jp/word/申聞-2087515#:~:text=もうし%E2%80%90きか・せる%20まう,告げ知らせる%E3%80%82
とありました。説法などの講本に
此度申聞る
とありましたので、
今回皆様にお伝えしますのは
今回皆様にお話ししますことは
というニュアンスでしょうか。
もう少し強い言葉の印象があります。

昨日、釈尊の御一生をアップすると書きましたが、編集した結果、50分を超えてしまいそうです。。
撮影時間はその倍以上(機材トラブルもあったので)かかったので、もしやとは思っていましたが。
長いですが分割もできそうにないのでそのままアップする予定です。
気長にご覧いただければと思います。

次回の法華経のはなしは、観世音菩薩普門品にする予定でしたが、予定を変更して、釈尊の御一生についてお話しをしたいと思っています。
いろいろと資料を集め、まとめてみたのですが、まとまりきらず…。
このまま話も良いものかと悶悶としていましたが、このままでは年が明けてしまいそうなので、思い切ってお話しをしようと思っています。
学術的なことは到底お話しはできないのですが、資料集めをしてみて、やはりインターネットではなく、書籍で調べていくことが大事だと感じました。
インターネットと書籍で同じことを書いていたとしても、行間で自分自身が考えを巡らす時間が必要で、インターネットだとその時間がどうしても短くなり、考えがまとまらないのです。
世代の問題かもしれませんが、本は開いているときと、本を閉じているとき、両方大事だと思います。

表現として、
尋常ならぬ
という言葉を使おうと思って、そういえば尋常とはどういう意味であろうと思いました。
調べて見ると、
① (「尋」は八尺、「常」は一丈六尺) わずかな長さ。わずかな距離。※本朝文粋(1060頃)九・聖化万年春詩序〈大江朝綱〉「望二龍顔於咫尺一、奉二鳳衡於尋常一」 〔春秋左伝‐成公一二年〕② (形動) 特別でない、ふつうのこと。また、そのさま。よのつね。つねなみ。なみ。通常。
https://kotobank.jp/word/尋常-537849
距離の長さ!?なのだと驚きました。
転じて、あまり特別では無いということが、普通のことという意味になるようです。
その尋常を否定することばが、
尋常ならぬ
ですから、非常にとか甚だしいとか特別だという意味になるようです。
ちなみに尋は「ひろ」と読んで、人が手をひろがた長さという身体尺になります。

本日は、本年最終の御報恩御講を奉修しました。
春が訪れたかと思わせるようなポカポカ陽気の中、宗祖大聖人様へ謹んで御報恩を申し上げることができました。
ご参詣頂いた皆様本当にありがとうございました。
今日は御講の後に親睦会を行いました。
朝からパン作りをして、焼いたパンを皆でいただきました。

ピントがずれてしまいました…。
小麦粉とイースト菌だけのパンでしたが、とっても美味しかったです。
諸準備からパン作りまで行っていただいた皆様、本当にありがとうございました。
本当に楽しい一日でした!
さぁ、これから正月へ向けて準備が始まります!

本日は御逮夜法要を奉修しました。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。
あっという間の一年で、もう本年最終の御逮夜法要となりました。
参詣者の方と法要終了後には、共々に御報恩を申し上げることが有難いねとお話しできました。
そもそも寺院に参詣頂けることは有難いことで、当たり前のことではありません。
世間の多くの事柄を万障繰り合わせなければ参詣できません。
まして、今は世事がたくさんあります。仕事、家庭、趣味、いろいろとあるでしょう。
そのような中でのご参詣です。大聖人様仰せの、
「道のとおきに心ざしのあらわるるにや」
には、ただ道のりが遠いだけではない志の高さを示されているのだと思います。
…という話を語り合いました。

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