仏意計り難し
日有上人の化儀抄に、
「仏意計り難し、失によるべきか」
という御文があります。
昔は起請文というのがあって、何かトラブルや、約束事などがある場合に、それを文章にして神仏の照覧を仰ぐというものです。
今こういうったことを聞くと、なんだか幻想ような話に聞こえるかもしれませんが、当時の人には非常に拘束力のあることで、起請文に違えることがあると仏罰を蒙りますから、非常に重みのあるものでした。
そして、では起請文に書かれた内容の正邪はどう判断されるかと言えば、さきに上げた御文の通りです。
仏様の御心にお任せするわけです。
怖いですね。
嘘はつけませんし、神仏を欺くことはできません。
こうやって人間が増長するのを防いでいたといえば、これは技法的な話になるので、そうではなくて、やっぱり人間の心情として、この仏意計り難しというのは必要なのではないかと思います。
仏様と自分。
その対話を通して、我が身を省みる。
なんども言いますが、
嘘はつけませんし、神仏を欺くことはできません。


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