思い込み
僻見というのがありまして、いわゆる偏ったものの見方のことをいいます。
もっといえばゆがんだ考え方という意味もあるようです。
私たちは物事を見るに、自分のフィルター、他人のフィルターを通して、それが何であるか、どういうものであるかをとらえています。
…といいたのですが、他人のフィルターを通すことはあまりなく、思っている以上に自分の思い込みの中で他者を批評しています。
それが人間の性質ですから致し方ないのですが、この思い込みは他者に対してはもちろん、自分に対する思い込みもかなり強くあります。
ですから、ちょっとしたときに自分の思いがけない点に気付いて、自分にはそんなところがあったのかとようやく分かることがあるのです。
そのちょっとしたときは、他人を通したり、また本当に些少な出来事であったりとどのタイミングで来るかがわかりません。
そのタイミングが来たときに、ここからが一番大事だと思うのですが、そのタイミングが来たときに、その徴(しるし)を素直に受け止めることができるかどうかによって、思い込みから離れられるか離れられないかの違いがあります。
素直に受け止めることができれば、思い込みから離れられる。
素直に受け止めず、いいや自分は違うんだと強情になれば思い込みから離れることはできない。
結局同じような結論にいたってしまいますが、人間、素直になれるかがとても大事だと思います。

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