題名の言葉を学生の時に学びました。
良き敗者でいなさい。
良き敗者となりなさい。
ということでした。
学生のときにはあまりこの言葉の意味をよく理解できなかったのですが、しかし、それなりにとても心に響く言葉だったことを覚えています。
この言葉には先に
Be a hard fighter
言う言葉が来ます。
この言葉が先に来る事は大人になってから知りました。
意味は
果敢なる闘士たれ
という意味ですが、とにかく一生懸命励みなさいと言うようなニュアンスだそうです。
そして、結果は勝敗がありますが、勝敗は時の運であり、勝敗を求めすぎず、例え負けたとしても、潔良き敗者であれということです。
歳を重ねるにつれ、敗者となる場面は、別にスポーツなどをやっていなくても多くあります。
むしろ本当の意味での勝者と言うのは、人生の中では無いのかもしれません。
日蓮大聖人様は
よからんわ不思議、わるからんは一定
と仰せです。
うまくいかないことがあったり、だめな1日があっても、それでも腐らず、日々を生きていくこと、それが人生の中でどれだけ大事なことか、大聖人様は教えてくださっているんであろうと思います。
踏み込み温床ですが、順調に温度が上がっています。

朝には温度が上がりすぎて、種を蒔くポッドの土の温度が40度位になっていました。
もう少し温度が落ち着いてから種を蒔こうと思っています。
◇
今日、参詣された方と人間性について話をしました。
歳をとってから穏やかに過ごすことができる人は、若い時から人間性を整えていると言う話でした。
確かに若い時と歳をとってからの時間はつながっています。
今できない事は将来もできないので、若い時から自分の人間性を省みると言うことを大切にしなければいけないのではないでしょうか。
聖人君主のように生きる事は難しいですが、毎日ありがたいと思って生きていきたいものです。
プロのスポーツ選手の話などを聞くと、自分の体との対話を毎日繰り返しているということがよく分かります。
外から入れてくる情報も大事なのですが、そもそも自分との対話が必要ということなのでしょうか。
いざ自分に向き合ってみると、思っている以上に分からないことが多く、また日によっても自分というのは変化しますので、その変化になかなか追いつけないということがあります。
それなのに自分と向き合い続けなければいけないというのは、非常に孤独な作業であると感じます。
信心をする上でも自分との対話をするのですが、幸いに仏様を通して自分を省みますから、それほど孤独感を覚えることはありません。
信心のあたたかみは、こういうところにもあると思います。
今年も温床を準備しました。

今年の温床は見ての通り?、見て分からないですよね、踏み込みを行いました。
例年踏み込みを行わなかったのですが、それは温度がなかなか上がりきらないためでした。
でも、この二、三年はわりと温度を上げることができている一方、今度はその温度を持続させるのが難しかったのです。
そこで、踏み込みを行いました。
温床の中では発酵が起きることでその熱を利用します。
この発酵には好気性と嫌気性があり、最初は好気性発酵をさせてしっかり温度を上げて、次に嫌気性発酵でその温度を持続させていきます。
その嫌気性発酵に踏み込みが欠かせないということです。
この時期、当地でも朝晩がかなり冷え込むので、どうなるか分かりませんが、試してみないとわからないので、今年はトライしてみました。
さて、どうなるでしょうか?楽しみです。
読めなかった漢字シリーズです。
聟
むこ
と読みます。
婿の略字体だそうですが、微妙に意味が違うようで、
聟(むこ)」と「婿(むこ)」は同じ「むこ」と読み、意味も娘の夫を指す点で同じですが、「聟」は「婿」の異体字(俗字)で、特に「娘のいる家に入って家を継ぐ男性(婿入り)」を指すニュアンスで使われることもあります。どちらも現代では「婿」が一般的ですが、「聟」は旧来の文献などで「婿入り」の形態を示す際に用いられ、その違いが表れることがあります。
ということです。
常用漢字が決まられる中で、こういう微妙なニュアンスを含んだ漢字は失われていってしまったのかもしれません。
今も人工知能などが発達して、情報が簡潔に分かりやすく伝わるようになっていますが、もともと人間が文化的に築き上げてきた豊かな表現が失われてしまっていくことを残念にも思います。
平安期の女性の名前や歴史上の人物を訓読みするのか音読みするのかが分からないことがよくあります。
これには有職読みが関わっているためです。
繁子内親王を「はんしないしんのう」と呼称するのもその一例です。
なぜ有職読みをするのかは、いくつか理由があるようで、
1,経緯と秘匿性
2,区別のしやすさ
3,学術的な伝統
などが挙げられるそうです。
気になる方は調べてみるととても面白いです。
ところで、この有職読み、
ゆうそくよみ
と読みます。
ゆうしょく
ではありません。日本語の読みは本当に難しいです。
今日は阪神大震災が起きた日です。
いまだに地震の話題が出れば、この日のことが話になります。
これから起きる地震はいつどこで、どう起きるかは分かりません。
予測として、いろいろな情報が上がっていますが、日本にいる限り、地震はいつどこでも起きると思って行動しなければいけません。
ここだから大丈夫
と思ってはいけないことは、日々起こる自然災害から十分に学べることです。
お寺では、多くの事柄について対話があります。
そういう対話でいろいろなことを想定し、考える機会を得ています。
人間、自分一人で考えることには限界があります。
どうしても慣れる、忘れるがあります。
自然災害をおもうとき、コミュニティに所属することの大切さも考えなければいけないと思います。
植えた玉ねぎに雑草が生えていたので、少し整理しました。

周りの方から教えてもらったように、草は抜かないで、根っこと茎の間で刈るようにしています。
根っこが残ると自然と空気が入る隙間ができるそうです。
実験的にやっているので、上手くいくかはわかりませんが、心なしか土がフカフカな気がします。
気のせいかもしれませんが笑
ちょっと技術的なことなのですが、法話などを録音した音声を聞きやすくするにはどうしたらいいかと質問がありました。
あまり専門的なことはわからないのですが、短い音声であれば、AdobePodcastが便利です。
使い方はこちらのサイトが分かりやすかったです。
https://note.com/uminekozawa/n/necd6306fde28
何かの参考になれば幸いです。
本日の山陽新聞のコラム「滴一滴」は下記のような内容でした。
https://www.sanyonews.jp/article/1855171
お祝いの日に、生死のことを語る大切さを感じました。
ちょうど今日聞いていたラジオで、もと検死官の方が、
「死ぬことを語ることがもう少し日常にあってもいいと思う」
というようなニュアンスのことを語っておられました。
終活は、まずは家族と死について語ることから始めてはどうかとも仰っていました。
なるほどと思いました。
確かに、死について語ることが何だか難しくなっている現代はあまり良い状況だと思いません。
もう少しざっくばらんに死について語り合っても良いのではないかと思います。
最近のご意見