Monthly Archives: 2月 2022

旧字体と新字体

古い本を読むとたくさんの旧字体がでてきます。

読めない文字だと思って調べると、
意外な字の旧字体だったりするので驚きます。

ところが、もう少し調べて見ると、
旧字体と新字体の関係になっているものでも
本当はまったく別の字であるという場合もあるようです。

先日、三台星のことを書きましたが、
この台の字も、臺と颱の新時代となっていますが、
二つとも本来は違うとのことです。

確かに臺と颱は感じの苦手な私には読むのも書くのもつらい字ですが、
だからといって、無理矢理に旧字体と新字体の関係にしてしまっては
いかがなものかと感じます。

とくに颱の字は、
颱風(たいふう)
の熟語で使われる字で、
台風よりよっぽど颱風の方が「たいふう」らしい気がします。

こうやって調べて見ると、
単純に旧字体としているものに新しい字が入っていたり、
新字体の中に旧い字体が紛れ込んでいることもあるらしく、
それから書写体と呼ばれるものもありますし…
漢字は本当に奥が深いです。

冷え込み

今日は大変な冷え込みでした。

朝のお勤めが終って外に出てみると、
うっすら白く染まっていました。

倉敷ではめったに雪はふりません。

今年は寒い日が多かったのに、
雪はほとんど降りませんでした。

今日ご参詣された御信徒とも、
「これが今年の寒さのピークであったらいいけど…」
と話しました。

ハトも
「もう勘弁して下さい〜」
って言っているようです。

誕生会

今日は、宗祖日蓮大聖人の御誕生会です。
法要としては御講と合わせて奉修しましたが、
謹んで御報恩の読経唱題に勤めました。

昨年は御聖誕800年でした。

今年は801年目?にあたるのかと計算するのが苦手です。

昨年は800年、800年と思っていましたが、
こうしてまた1年目が始まっていきます。

節目を迎える喜びと、
節目を過ぎて、また一年、一日と歩みを進められる喜びは、
どちらも本当に有り難いことです。

ちなみに旧暦の2月16日は新暦でいうと4月6日あたりになります。
春真っ只中のころです。

今日は寒い日ですが、お生まれになった日のことを思うと、
春も間近と感じます。

雑記

「物事が上手くいかないときはありますか?」
と聞かれたことがあります。

もちろんあります。
むしろ、上手くいったといえることがあまりなく、
反省の毎日です。

でも、上手くいかないのが当たり前だと思っているので、
逆に上手くいかないことで、毎日たくさんの気付きがあります。

御本尊様に手を合わせ、
毎日気付きを与えて下さることに感謝しています。

上手くいかないというのは
「上手くやってやろう」という自分の欲張った部分の
裏返しのような気がします。

「そもそも、そんなに上手くいくものでもないからね」
と思えることはとても大切です。

…と、自分に言い聞かせています。

各品の文字数

「法華経のはなし」の準備のために、
法華経の各品の文字数を調べてみました。

文字数は真読(書き下していないもの)をソフトの文字カウントで調べただけなので、
正確なものではありません。

序品 4173

方便品 4919

譬喩品 6951

信解品 3269

薬草喩品 1659

授記品 1819

化城喩品 5913

五百弟子受記品 2300

授学無学人記品 1237

法師品 2147

見宝塔品 2635

提婆達多品 1740

勧持品 1195

安楽行品 3255

従地涌出品 2779

如来寿量品 2019

分別功徳品 2665

随喜功徳品 1305

法師功徳品 3064

常不軽菩薩 1499

如来神力品 1124

嘱累品 463

薬王菩薩本事品 2799

妙音菩薩品 2070

観世音菩薩普門品 2062

陀羅尼品 1588

妙荘厳法本事品 1715

普賢菩薩勧発品 1767

一番長いのは譬喩品で、短いのは嘱累品のようです。
一番長いのは方便品だとばかり思っていました。

ちゃんと調べてみないとわからないことがたくさんあります。


時を習う

本日は御報恩御講でした。
足下の悪い中御参詣いただいた皆様には
誠に有り難く思う次第です。
また感染症対策にご協力頂き本当にありがとうございます。

今回から配布の法話プリントは撰時抄に入っていきます。

仏教とひとくくりにされがちですが、
内実は説くところがそれぞれ随分と違います。

では自分勝手にあれもこれも信じていいかといえばそうではありません。
そんなことをしてはかえって迷いを産んでしまいます。

仏の教え→教

仏の教えを受け取る側の性質→機根

仏の教えが説かれる時→時

仏の教えが説かれる国土→国

仏の教えが流布する順番→教法流布の前後(先後)

この内の「時」を説くのが撰時抄です。

機根を踏まえつつ、時へと集約されていく法門の展開には
大変考えさせられることが多くあります。

時を見極めるのは非常に難しいですね。
少しずつ拝読していきましょう。

(法話プリントは寺院においてあります。)

トマトの芽が出ました

学校

いろいろな場面で学校教育に関して話を聴きますが、
今のままで良いのだろうか?と感じます。

そもそも学校に絶対に行かなければならないというのは
いつから固定化したのでしょうか。

学校というのは教育の一つのあり方では無いかと思います。

大人は仕事のあり方を選べます。
会社で働く人。
会社を経営する人。
公の仕事に着く人。
フリーランスとして働く人。
様々です。

でも子ども達は、教育を受ける方法を選べない。
また現在の学校教育に合わない子どもは脱落者のようなレッテルを貼られてしまう。

このままで良いのかなと感じます。

社会全体の認識を変えることはできなくても、
学校以外の教育を受けることを選択した子どもを
応援していきたいと思います。

三台星 さんたいせい

天台宗は、中国の天台山というところで開かれたので天台宗といいます。

この天台は、空の星のことをいうそうです。
良い星の下にある山という意味らしいのですが。
その星の並びを
「三台星(さんたいせい)」
というようです。

御書システムの辞書欄にはこの様に説明があります。

三台星のことで、紫微(北極星を中心とした星群)のまわりにあって、これを守る上台・中台・下台の三つの星をいう。これを天子を補佐する三公に当てるところから三公星とも称する。

うん?
「三公」とはなんぞや?

三公は、中国の官名の、司空、司徒、司馬の三つで、
皇帝を補佐する役割をもっていました。

調べて見ると、私たちがよく耳にする西洋の星座ではなく、
中国の星座もあるようで非常に面白いです…

ですが…、調べ始めるときりが無い。
じっくり学んでみたいなと思います。

そういえば、星空を見上げることも少なくなりました。

子ども時分には、星空を見て、何か想像をしていたなぁと思い返します。

学ぶのか行ずるのか

撰時抄の冒頭は、
「夫れ仏法を学せん法は、必ず先づ時をならうべし。」
と始まります。

ここに素朴な疑問として、
仏法は学ぶもの?
仏法は修行するもの?
ということを感じます。

仏教と聞けば、修行するものと感じるのが一般的。

「一信、二行、三学」という教えがあります。

まずは、信ずること。次に行ずること、そして学すること。

この順番が崩れると、信心に迷うといいます。

学ぶための仏教になると、それは知識でしか有りません。

ですから、まずは信が大事であるという教えです。

一方で、信が先にきたら、自然と行も学も立ち上がります。

信がある人が、行も学も行わないということはないからです。

ですから、純粋に学したいと思う人は、そこに信の芽生えが必ずあるということも
いえるかと思います。

信が立つとき、そこに実際の行いも、素直な学びもそこにあるということです。

学びが進まないとき、自分自身に信があるか問うてみることが大事と思います。