まだ小さい自分には、夕方の5時くらいになると、いろいろなお宅から、
チーン
と鈴の音が聞こえてきました。
宗派を問わず、自宅での祈りが行われいたのだと思います。
住宅事情が変わって、現在の住宅が気密化しているから…ではないでしょう。
鈴の音を聞くことが本当に少なくなりました。
平時の祈りというものが生活の中から失われてしまっているのかもしれません。
これは、平時の運動不足と似ているところがあると思っていて、とつぜん動けと言っても運動はできません。
それと一緒で、とつぜん祈れとなっても、多くの場合、祈ることができないものです。
大事な時に祈る事ができなくて、それで苦しみを増やしてしまうこともあります。
大事な時に祈れるように、やっぱり平時の祈りが大切だと思います。
お経が終わらなければいいのにと思った
という言葉をいただくことがあります。
お経が終わるとお別れをしなければいけないから、お経が終わらなければいいのにと思っていました
とても重い言葉です。その時に向かって、時間は残酷にも過ぎていきます。
でも、だからこそ、その時に唱えることができるお経とお題目があって本当に良かったと心から思います。
…という言葉が何せいろいろなところでよく使われます。
意味としては、科学的根拠や証拠のような意味で使われていることはわかるのですが、では、いつ頃から一般的な言葉になったのだろうと思っていました。
調べてみると、下記のサイトにあるように、
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第2回-エビデンス-2#:~:text=概念が誕生したの,度が高まりました%E3%80%82
1990年代中頃!ということらしいです。
衝撃を受けました。
そんなに前から?と思いましたが、確かに専門性の高い言葉が、業界では一般的に使われていても、巷に浸透するのは時間がかかりますもんね。
英語圏でも一般的に使われる言葉なのでしょうか。
昨日は火鉢のことを書きました。そんな火鉢で暖かくなるのかというと、現代の暖房器具のような暖まり方ではなくて、空気全体が何となく暖まるといった感じです。
では鎌倉時代の暖房器具はどのようなものが使われていたのか…、となるとこれがなかなか分かりません。
記録上に残るのは、貴族や武家のことばかりで、庶民の生活はなかなか見えてこないからです。
一説には江戸時代寸前くらいまでは、庶民は竪穴式住居のような住まいに住んでいたということを聞いたことがあります。
いずれにしても、庶民でいえば、囲炉裏のような暖房器具を使っていたのかなと思います。
ただ、竪穴式住居の場合、冬は火を焚きっぱなしにするらしく、結構室内は暖かいらしいです。
徒然草に、日本の家は夏にあわせて作ることということが書かれてありますが、冬はきっと寒かったんだろうなと思います。
ちなみに、鎌倉時代は暖かかったと言われています。
でも冬はやっぱり寒いと思います。。
今日は雨から雪へと変わり、また雨となりました。
気温としては少し高めなはずですが、とても寒く感じる一日でした。
法眼寺では、火鉢を使用しています。
ストーブなどの暖房器具のような暖まり方はしないのですが、ほんのり暖まる感じがとても心地よいので使用しています。

ただなかなか炭を長持ちさせることができませんでした。
備長炭を使えば長持ちするのは分かっていますが、とはいえ、なかなか高価でもあり。。
試行錯誤の末、今の組み合わせは、
ならの木炭+おがたん
を使用しています。
ならの木炭は一気に火が付くのですが、時間が持たない。
おがたんはなかなか火が付きませんが、長持ちする。
そこで二つを組み合わせると、コンロで10分もあぶれば、火が付くので、そのまま火鉢においておけば、上手い具合に長持ちしてくれます。
まだまだ寒いようなので、いろいろ工夫をしながら暖を取りたいと思います。
本日は御報恩御講並びに御誕生会を奉修しました。
今日も寒さが厳しかったですが、御参詣の皆様と日蓮大聖人様への御報恩謝徳をねんごろに申し上げした。
皆様には御参詣誠にありがとうございました。
大聖人様は貞応元年2月16日にご生誕遊ばされたと伝わります。
この前年、承久3年に承久の乱が起こり、武家政権が確立しました。
天皇が敗れるという事態に社会も混乱を極めたでしょう。
そのようなときに混乱の影響をもっとも受けるのは、立場の弱い人間たちです。
その立場の弱い人から救っていこうとされたのが大聖人様です。
せんだらが子の宣言はそれだけ大きな意味を持ちます。
800年を経てなお私たちを導いてくださる大聖人様。
そのご誕生を各家庭の御仏壇でもお祝い申し上げてください。
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昨日、一昨日に比べると少し寒さも和らいだように感じます。
春は近いですが、まだまだ気を抜かず過ごしてまいりましょう。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を申し上げました。
最近、インターネットで情報を得た方の中でちょっと偏った物の見方になっている方がいらっしゃいます。
何か物事の原因を安易に決めつけてしまっているように感じます。
インターネットはどれだけ閲覧されたかがとても大事なので、そこで真実のことが話されているとは限りません。
また自分が得たい情報ばかりが自然と表示されやすくなりますので、いつの間にか世の中全体が一つのことに覆い尽くされていると感じてしまいます。
大手メディアが力を失う中、自分で情報を得ていく時代になりました。
だからこそ、自分の思いを納得させる情報ではなく、たとえ自分にとって不都合な内容でも、物事の真意を受け取ろうとする姿勢が重要です。
大聖人様も、悪いものは良いもの姿で近寄ってくると仰せです。
自分の耳に優しい情報に騙されないようにしましょう。
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