吉川英治さんの新・平家物語は読んだことがありましたが、今回NHKで「人形歴史スペクタクル 平家物語」が再放送されていました。
1993年から95年まで放送されていたものだそうで、その時には見ていなかったのですが、30年経った今見ても、非常によくできた作品でした。
原作もそうですが、かなり研究も進んでいるので、史実とは言えない部分も多くあります。
しかし、物語でなければ語れない部分もあって、それこそ平家物語に漂う無常観がよく現れていたと思います。
平家の勃興衰退が描かれるのですが、むしろ源氏の衰退がこの物語の後にあることを思うと、我々が生きている社会はいつでも諸行無常だということを考えさせられます。
特に平安時代末期から鎌倉時代はある意味残酷な時代なので、逆に人形劇だからこそ表現できるものもあったように感じます。
この物語から数十年後に大聖人様はご誕生遊ばされるのですが、親殺し、子殺し、兄弟での争い、裏切り、強欲、儚さ、空しさが溢れる社会で、それでも人としてどう生きるかを求められた大聖人様とは、やはり希有なご存在であったのだと改めて思います。
今日お参りされた女性は、80歳を越えています。
「年取ったわ、歩けんわ」
といいながら、しゃんしゃんと歩いてこられます。
つい最近までお仕事もしていて、お仕事を辞めてからは、
「このままじゃ、ボケるけん、とにかく新しいことを始めようと思ってる」
と仰っていました。
体力的な衰えはあっても、気持ちを衰えさせないところを見習わなければ思いました。
法務の都合で、明日仏教説話の動画をアップしたいと思っています。
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いかりについての動画になりますが、いかりは、
瞋り
怒り
と書いたり
忿り
と書いたりするものがあります。
今回参考にした本では
忿り
でした。
忿はどういう意味なのでしょうか。
憤るが憤と読み、こちらの音と意味に近いともありました。
心が分かれる。確かにいかりは、心を分けてしまいます。
植樹するために穴を掘っています。
できる限り深く掘った方が木の育ちもよいとのことなので、少しずつ掘っています。
掘ってみるとわかりますが、掘るのは結構難しいものです。
ただ闇雲に掘れば良いというわけではないですね。
以前、植木屋さんが掘っているのを見たことがありますが、実に手際よく掘っていきます。
穴を掘るなんて誰でもできるだろうと思うのですが、実は穴を掘るってとても奥が深い作業です。
十二支は子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥です。
この十二という数、時計も、月も十二なのですが、確か十二は割り切れる数が多いという理由で十二進法が使われるようになったと思います。
でも、その起源は古代エジプトであったと思います。
十二支は中国だと思うので、当時から世界共通として使われていたのでしょうか。
こういう文化と数字の関係って調べるととても面白いですね。
ちょっと機会があって、量子コンピューターのことを調べてみたのですが、大変難しい仕組みで有る事がわかりました…。
コインの裏表ではなく、コインが回転している状態を組み合わせて、とてつもない計算をしていくということだそうです。
でも生物学的には、表裏ではなく、中間地点があるというのは何だかがとても自然なことのようにも感じたりします。
量子コンピューターと呼ばれるものの一方、私たちが使っているコンピューターは、古典コンピューターと呼ばれるそうです。
量子コンピューターのことを調べていても、もう一つ分かったことがありました。
古典コンピューターのこともそもそも分かっていなかったということです(笑)
今年も秋の彼岸の季節となりました。
明日からは彼岸会の法要がございます。
秋分の日を中日をして前後一週間。
この一週間を彼岸と意識してお過ごしになられる方は、今どのくらいいらっしゃるのでしょうか。
以前は、
彼岸の時期じゃけぇ、無駄な殺生はやめようやぁ
なんて会話が聞こえてきました。
仏教的にもそうですが、世間の風習としてのお彼岸も、今一度見直す機会にしてほしいと思っています。
最近のご意見