今年も最後の一日となりました。
もう数時間で新年となります。
こうやって一年を締めくくり、新年を迎えることができるのは本当に有り難いことだと思います。
皆様には本年一年本当にありがとうございました。
明年も何卒よろしくお願い申し上げます。
ところで、境内のスイセンが…、
もう咲いています。
ビックリ。
年末に欠けて穏やかな天候が続いたからでしょうか。
とても良い香りとともに新年を迎えることができそうです。
今日はお餅つきでした。
思いがけず大変たくさんの方にご参詣頂き、今年一年の締めくくりとなるお餅つきも大盛り上がりで終えること出来ました。
本当に有り難いことだとしみじみ感じました。
皆それぞれ今年一年様々な思いで過ごされてきたことをいろいろと対話の中で話されていました。
つらいことや苦しいこと、いろいろなことがあった一年でしたが、皆様と一緒に一年を締めくくることができたのは何よりも幸せなことだと思います。
今年も残すところ明日一日となりました。
お正月までもう一踏ん張りです。
もういくつ寝ると〜、おもちつき〜♪ではなくてお正月ですね。
明日はお餅つきなので、講中の皆様が餅米洗いに来てくれました。
年末の忙しい中、本当に有り難く思う次第です。
今日はとても穏やかな一日でした。
寒い日が続いていたので、少し気持ちも休まるようです。
ちょっと気持ちが張り詰めてしまっている方は、深呼吸をしましょう。
以前に参詣された方が、
深呼吸のかわりにゆっくりお題目を唱えます
と仰っていました。
そうですね、気持ちが落ち着き、心も軽くなります。
明後日はお餅つきです。
ということで杵の準備。
杵の先が痛んでいたので、少し短くしました。
やすりをかけて、とりあえず完成。
明日水に浸して様子をみてみます。
ちなみに岡山県で使われる杵はホオノキが多いそうです。
そして、草抜き。
冬でも草は生えます。
むしろ冬の草はしっかり根を張るので抜きにくい…。
寒さにまけない根性を見習いたいです。
原稿を執筆にするにあたり、曲の歌詞を引用させていただくことがあります。
この歌詞の引用、いろいろと決まりがあるようです。
下記のサイトが詳しく見やすかったので参考にしました。
このサイトにによると、基本的に歌詞を使用すると使用料がかかるとのこと。
ただし、引用の場合はよしとする。
著作権法には「引用」であれば、誰でも自由に歌詞を転載して良いと明記されています。(著作権法32条1項)著作権法は著作権者の利益を守る法律であるのと同時に、文化的所産である著作物の公正で円滑な利用とのバランスも考えられているためです。著作権法は、何でもかんでも著作権者の権利を守る目的で作られた法律ではありません。文化の発展に寄与することを目的としている法律なのです。(著作権法1条)
https://vimclip.jp/copyright-wordsofsong/
引用となる条件は、
①引用部分とそれ以外の部分が明瞭に区別されている
②自分の著作物が主で、引用する歌詞が従になっている
③引用の目的が「報道、批評、研究など正当な範囲内」になっている
④出所の明示
⑤引用する著作物は公表された著作物であること
⑥著作者人格権を侵害するような利用態様でないこと
などがあるようです。
詳しくは上記のサイトを御覧下さい。
こういったことは定期的に確認しておかなければいけないなと感じています。
当宗では、謗法厳戒という教えがあって、他門のものをむやみやたらに行いません。
ですから、クリスマスもしません。
こう言うと、閉鎖的だ、排他的だ、クリスマスはもう宗教的なものではないからいいじゃないか、などと意見をいただきます。
こちらとしてもただ闇雲にクリスマスをしないと言っているわけではありません。
上記の謗法厳戒という教えはもちろん、現代社会から見ても、クリスマスをしないという理由があります。
近所のお子さんから、
クリスマスするの?
と聞かれたことがありました。
しないよ。
と、答えると、
クリスマスしないと、みんなと違うからイジメられるよ…。
と悲しそうな顔で言われたことがあります。
こんなに変で悲しいことはあるでしょうか。
みんながしてるから、しなきゃいけないなんて。
みんながみんなではないけれど、感受性の強い子はこんな風に思うようなのです。
こんなこと、ただの同調圧力でしかありません。
以前に、ある大人の方が、
クリスマスは商品が少なくて、なかなか手に入らない。
と話していました。
クリスマスにプレゼントがそんなに必要ですか?
この疑問は、次のクリスマスをしない理由につながります。
以前に日本のキリスト教の聖職者の方のインタビューを聞いたことがあります。
日本では、みんなクリスマスをお祝いしていますね。それだけキリスト教が広まったということですね。
という質問に対して、その聖職者は、
あれはキリスト教のクリスマスではありません。クリスマスはプレゼント交換の日でも、カップルで過ごす日でもありません。
と仰っていました。
確かにそうだと思います。
敬虔なキリスト教徒にとって、今のクリスマスは受け入れ難いことだと思います。
私たちで考えれば、御会式の日に、みんなプレゼントを買いに走り、恋人と過ごす日だと言われれば、それは御会式ではないと思うはずです。
1人の信仰者として、信ずる信仰の是非は別にして、信仰を大事にする者にとって、クリスマスな土足で踏み込んでしまって良いものではないと思っています。
…そんなに真面目にクリスマスのこと考えることないだろう、と言われそうですが、信心を大切にする生き方をするときに、なあなあですませることができないことなのです。
みんながやってるから、というみんなって誰なんだって問題もあります。
良い子にしていればプレゼントをもらえるというのはどんな人生訓になるのでしょうか。
こんな時代だからこそ、一度考え直してみる必要があると思います。
本日は、門松作りと大掃除でした。
ご参加いただいた皆様には、年末の忙しいなか、本当にありがとうございました。
立派な門松が出来ました。
今日は久しぶりに日中も暖かくなり、作業もしやすかったです。
昨年はとっても寒かった記憶があるので本当に良かったです。
近所の人が早速写真撮影をしていました。
大変危険な寒気が流れ込んできているようです。
皆様十分に気を付けてお過ごしください。
ところで寒気と寒波。意味合いは違うようです。
寒波は、主として冬期に、広い地域に2~3日、またはそれ以上にわたって顕著な気温の低下をもたらすような寒気が到来すること。
寒気は、周りの空気に比べて低温な空気。
(気象庁ホームページより)
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/kion.html
使い方としては強い寒波によって寒気が流れ込みという用法でしょうか。
こちらは幸いに雪などは降っていませんが、風がとても強いです。
大きな事故などにつながらないことを祈っています。
明日は「法華経のはなし」更新となります。
本年最終の更新です。
よろしくお願いいたします。
数日前にも書きましたが、宗祖に縁が深い時代ということもあり、今年の大河ドラマは楽しんで見ることができました。
もちろんドラマとしてですが。
脚本も面白く、俳優さんたちも個性豊かに力を発揮してくれたと思います。
改めて思いますが、あの時代、人の命がどれだけ軽かったかということです。
どんどん人が死んでいく。権力のため。名誉のため。
現在の道徳観などはまだまだ熟成されていない、人間の生の欲望がそのまま蠢いているような時代であったのだと感じます。
たとえば承久の乱の時などは、身内で互いに讒訴しあい、自分が生き残れば身内の分の所領を得ることができた、そんな非道なことがまかり通っていた時代であったと聞いています。
一方、今回のドラマがよく描いてくれたと思うのが、そういう殺伐とした時代にあっても笑いがそこにあったということです。
きっとふざけた、冗談のような、笑いがそこには必ずあったんであろうと思います。
それがコントラストになって、時代の影を色濃くするのでしょうが…。
いつも思うのですが、大聖人様やその周辺ではどんな笑いがあったのだろうかということです。
笑いの面から当時を見ていくと、また新たな発見があるのかなと思ったりしています。
もう少し思うこともありますので、また書こうと思っています。
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