本日は御経日を奉修しました。
台風が過ぎ去り、雲一つ無い天気になりました。
お盆に引き続いて、深信の御参詣を賜り誠にありがとうございました。
御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊へ御回向を申し上げました。
法話に先立ち、本日が防災の日にあたっているということで、防災に関してのご挨拶をいたしました。
いろいろと防災の準備が必要ですが、とにかく一人で準備をするのではなく、家族、親族、近しい人と行う事が大切ですとお話ししました。
離ればなれになった時に再会する場所、どうやって連絡するかをまずは話し合って頂ければと思います。
法話では、「尊霊御菩提御書」と「除病御書」についてお話ししました。
先月の御経日でお話しした「太田入道殿御返事」に引き続いての内容です。
病気をしたときに、私たちはその病気をどう捉えるかということについて改めて考えさせられる内容でした。
転重軽受していくということは、難を受けることそのものに意味があるように思います。
病気が治る、難を克服する…それでも私たちはまた苦難を受けます。
そういう人生の中で、過去現在未来の三世を意識して、転重軽受していくという難の受け止め方は、現代人の何でも出来ると思い込んでしまっている増上慢に対して、全く別の生き方を示してくれているように思います。
本日は御経日を奉修しました。
相変わらず朝から暑くなったのですが、深信の御参詣を賜り誠にありがとうございました。
謹んで先祖諸精霊の御回向を申し上げました。
法話では、「太田入道殿御返事」についてお話しをしました。
太田入道が病気をされたことに対して励ましのお言葉を与えられた御書になります。
太田入道は曾谷教信、金原法橋と親類であるとも言われ、大変に法門にも精通した方であったようです。
また大変に信仰に熱心であり、大聖人様を初期から支えられた檀越でした。
大聖人様の一歳年上だとも言われています。
その太田入道に与えられたお手紙ですので、内容的には少し難しい部分があります。
また信仰に熱心である太田入道であるからこそ響くお言葉が多くありました。
病を得ることで過去の悪業を転じていくことができるのであるから、病に負けず、信心に励みなさいとする御教示は、深い信心の境地に立つからこそ、享受できるところではないかと思います。
拝読する度に気付きがある御書です。
本日は、御経日を奉修しました。
朝から強い雨が降る中、深信の御参詣を賜り本当にありがとうございました。
御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊への追善供養を申し上げました。
法話では高橋入道殿御返事についてお話しをしました。
建治元年頃の大聖人様の御法門が簡潔にまとまった御書であり、弟子檀越たちへの心配りが詰まった御書ですので、是非全文を拝読頂きたいと思います。
高橋六郎入道は、この建治元年末頃に亡くなったとされます。
病に蝕まれる体で、身延の山中にいらっしゃる大聖人様のもとを訪れたことがこのお手紙の中で言及されています。
そして、高橋六郎入道が参詣されたことを大聖人様は大変に有難く思われたことも示されています。
私たちは、そこに行くことで、他者を励ますことができるということを改めて考えさせられる内容です。
コロナの時代にあって、直接会わずともつながる手段は増えたわけですが、それでも、行くことでこそできるつながりもあるのではないかと思います。
本日は、御経日を奉修しました。
とても気持ちの良い天候の中、6月度の追善回向を申し上げることができました。
皆様には深信の御参詣を賜り、本当にありがとうございました。
本日は、大学三郎殿御書についてお話しをしました。
大学三郎は一説には比企能本であるとされます。
幕府の権力争いに巻き込まれる中、大聖人様に縁をしました。
大変な能筆とされ、幕府中枢に近いところにありながら、題目の信仰に励まれていました。
本抄はとても難解な御書になりますが、後半部分では戒律について示されています。
仏教ではたくさんの戒律があるけれども、末法のときにあっては、持戒は法華経受持であることが示されます。
本来、戒は、守っているからといって自慢をするようなものでもありません。
また、時にあわない戒律はこれも意味をなしません。
たとえるなら、現代にあって江戸時代の法律を守っていると喧伝するようなものです。
今私たちが、日々の生活の中で、守ることができる戒を大聖人様はお示しになってくれたのですから、私たちは言い訳せずに、この戒を持っていかなければなりません。
本日は五月度御経日を奉修しました。
あいにくの雨模様でしたが、深信の御参詣を賜り誠に有難う御座いました。
御参詣の皆様と共々に先祖供養を申し上げました。
法話では、三三蔵祈雨事についてお話をしました。
冒頭には、
木々を育てるにも支えがいる。大きな木でも倒れることがある。人も弱きものも支えがあれば倒れることはない。強そうな人でも支えがなければ倒れる。
と御教示があります。
世間では、強い、弱い、賢い、愚か、豊か、貧しいなどが物差しになります。
しかし、大聖人様はそういった物差しではなく、信心の厚簿によって判断されます。
たとえ弱くてもいい、支えになるものを確かに持って生きていけばいい。
こんなに心があたたまる御教示はありません。
本日は御経日を奉修しました。
お彼岸に引き続き、先祖諸精霊への追善供養におつとめいただき本当に有難く思う次第です。
法話では曾谷入道殿許御書についてお話しをしました。
大変長い御書であり、また消息文ではありますが、その大部分は重大な法門がいくつも示される、大切な御書になります。
全ての内容をお話しすることはできませんでしたが、なぜ今の時代にお題目でなければならないのか、またそのお題目をどのように弘めていくかについて御教示成られている部分を重点的にお話しをしました。
不軽菩薩のように強いて教えを説き聞かす。
不軽菩薩は強制的に信仰につかせるようなことはしません。
ですから、この強ひては、強い気持ちをもって、しかし、不軽菩薩のように柔和忍辱、慈悲の姿勢で人々を導くということを意味しています。
相手を屈服させたり、論破することが末世の弘教の目的ではないことを忘れてはいけません。
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今日は、春というよりはもう初夏のような暑さになりました。
良い季節になってきましたが、急な冷え込みには気を付けてお過ごしください。
本日は御経日を奉修しました。
昨日までの雨が嘘のように快晴となりました。
御参詣の皆様とともに、先祖諸精霊へ 謹んで御回向を申し上げました。
法話では、「會谷入道殿御返事」についてお話をしました。
御経文の一字一字は御仏であるという御教示と、境界によって物事の見方、とらえ方がかわることが示されます。
現代は目がとても重要視される時代です。
しかし、私たちは目以外の感覚器でも世の中をとらえています。
そのことを忘れて目ばかりで世の中を見るとかたよったとうえ方になってしまいます。
目以外の機能をもって大事にしてほしいですし、心で受け取めることをもう少し意識してほしいと思います。
本日は、御経日を奉修しました。
朝からあいにくの雨模様でしたが、深信の御参詣を賜り誠にありがとうございました。
二月は行事の多い月になりますが、まずは御経日を皆様と奉修できましたことを誠に有難く思う次第です。
法話では四条金吾殿御返事についてお話しをしました。
此経難事が示された御書です。
何事も継続が大事であるのは誰もが知っていることです。
知っているのですが、大事な時に忘れてしまうのが人間の性でしょうか。
憶持不忘。
受けるはやすく、持つはかたし。
日々の生活でも反省させられる御教示です。
法華経には、この経を持つことが難しいということが何度も何度も示されます。
大事な時に大事な法華経を忘れてしまわないように、日々の中での法華経を意識していくようにしましょう。
本日は御経日を奉修しました。
寒さが厳しい中、御参詣をいただき誠にありがとうございました。
ともどもに先祖諸精霊の追善回向を申し上げることができました。
本日の法話は春之祝御書についてお話しをしました。
宗祖は精霊にも法門を聴かせてあげたいと仰せになられています。
法門は生きているものだけのものではなく、生死を越えたところに展開されるものであることを示している御教導であると思います。
勤行唱題にしても、自分の為だけでなく、常に他者も、また精霊にも届いていると思って、つとめなければいけないと思います。
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あっという間に12月です。
気忙しくならないように、気忙しくならないように。
本日は、御経日を奉修しました。
御参詣の皆様と共々に先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。
御参詣誠にありがとうございました。
法話では、強仁状御返事についてお話しをしました。
強仁という真言宗の僧侶から届いた宗祖を批判する書に対して書かれた御書です。
宗祖はあくまで公場対決にて法論することを求められました。
それは無闇に争いを生み出さないこと、また法論を私的なものでなく、公的なものへと質を上げること、名誉を求める勇み足の人間を正すことなど、いろいろと理由は考えられます。
こういった御書を拝読すると、世間の宗祖に対する苛烈なイメージに反して、非常に冷静に、かつ公平な姿勢を拝することができます。
非常に興味深い御書です。
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秋らしい日が続いて嬉しいです。
〇〇の秋に何か取り組めたらいいなと思います。
思っている内に秋が終わりそうですが…。
最近のご意見