Monthly Archives: 3月 2018

春季彼岸会法要

本年も春季彼岸会が奉修されました。
18日21日の両日に亘って奉修いたしましたが、
21日は特に足元の悪い中、大勢の御参詣を賜り、
誠にありがたく思う次第です。

《法話》

「今生きているこの一日を」と題して、お話をしました。
大聖人様の御教示に、
「まずは臨終の事を学んで、後に他のことを学びなさい」
があります。

尊厳死や安楽死の内容を取り上げつつ、今医療をどう捉えるかについて考えてみました。
臨終を知るということは、すなわちどう生きるかということです。
何を信じ、何を支えとして、必ず来る臨終を迎えるのか?
それまでどう生きるのか?
先の御教示は、このことを私たちに問いているのではないでしょうか?

苦しい、痛い、つらい。
こんな自分に生きる意味はあるのか?
誰しもが自分に問うた機会があると思います。

でも、生きる意味を求めても、なかなか答えは出ません。
では、意味が見つからなければ投げ出しても良いのか?
そんなことは無いはずです。

苦しい、痛い、つらい、意味が見いだせない。
そんな一日でも、生きる価値は必ずあるはずです。

生きる価値を否定してはいけません。

一日でも永らえることは、本当に素晴らしいことです。

日蓮大聖人は仰せです。
「一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらをしの命やをしの命や。」

 

《ひとこと》

境内地の薄墨桜が咲きました。
まだ満開に咲くほど大きく育ってはいませんが、
可憐な華を咲かせてくれています。
ご自由に見物してください。

 

 

お言葉56「時」

是れ時の然らしむる故なり
『四菩薩造立抄』

物事には「時」がある。
その時は引き寄せることもできないし、
先送りにすることもできない。
だから、焦ることはない。
恐れることはない。

是れ時の然らしむる故なり
『四菩薩造立抄』

お言葉55「大切な命」

一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらをしの命やをしの命や。
『可延定業書』

命を粗末にしてはいけない。
乱暴に生きてはいけない。

自分も他も大切な命。

一日でも長く生きて、功徳を積みなさい。

一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらをしの命やをしの命や。
『可延定業書』

3月度御報恩御講

昨日、13時より、3月度の御報恩御講が奉修されました。
深信の御参詣を賜りありがたく思う次第です。

《法話》

今日は光日房御書を取り上げました。
子息を亡くした母尼に対し、
道理を語らず、ただただ心に寄り添う大聖人様のお姿に、
涙がとまらなくなります。

子息は決して不孝ではない。
子息は法華経の行者としてあなたを導く者である。

世間の尺度で悩み苦しむのではなくて、
ただ法華経の信不信によりなさい。

大聖人様の導きは生きる勇気を与えてくれます。

《ひとこと》

花々がどんどん新芽を出しくれています。
見ているだけでワクワクしますね。

3月度御経日

本日、10時18時より御経日が奉修されました。
昨晩から天候が非常に荒れる中、
大勢の深信の御参詣を賜り誠に有難く思う次第です。

《法話 女性と御書》

本日は、持妙尼御前御返事についてお話をしました。
本御書は、火の信心と水の信心が比較され、水の流れのように、
弛まぬ信心が大切であることがご教示されます。
燃え盛るように信心に想いをもっても、それが継続されなければ
意味が無いということです。

世間においても同じですね。
継続は力なり。
積み重ねが何よりも大切で、また一時的なことと比べれば、
大きな差になります。

長続きしないとお悩みの方は、まずは、目標を小さくすることが大切です。
とにかく一ヶ月、毎日続けられる目標にしましょう。
たとえば、百回出来るようになりたいことなら、
一日一回で十分。
それを一ヶ月続ける。
続ける癖をつけることが大事なので、
最初は欲張らず、取り組んでみましょう。

《ひとこと》

暖かくなりました。
これから寒の戻りもあるのでしょうが、とにかくホッとしました。
草木も芽吹く様が見えております。
本当にありがたいです。